「あざらしの島」(2/3)
月乃助
女の暮らしは、毎日打ち寄せてくる波のように、変わる事がなかった。
狭い島の単調な暮らしに飽きそうになると、女は海峡を眺めて夢想した。
海峡の向こう側には、隣国の長く横たわる山脈が夏でも銀嶺の頂と岩肌を見せている。その下をゆっくりと貨物線や客船、ヨットや瀟洒なクルーザーが過ぎていった。ときに海峡に動かずに大きな船がとまっていたが、それはどれも、港からくる水先案内人を待ちながらハンプバックのような鯨の黒い影を見せているのだった。海峡から東にある本土の港までは島の間を縫うように船を走らせなければならない難所だった。
夏の北風の吹く日には、その船が蜃気楼になって不確かな影を見せる。それは、海上に突然に立てられた巨大な十字架や尖塔のようなオベリスクに見えたりした。
女は、きっとそれが蜃気楼などでなく、何か女への海の託宣かメッセージだと思うのだけれども、それは波ほどにはっきりとした言葉で女に語りかけてくることはないようで、だから、女はその十字架に磔刑にされた自分やオベリスクに今までしたことを彫り込むことを考えては、特別な意味を与えたりしてみた。
そんなときにはきまって夢想を広げ、この島を出て別なところで暮らす自分を想像してみることもあった。
新しい町に落ち着き、仕事をして生きるしっかりものの自分の姿は、この島の自分よりもとても幸せそうにおもえた。
そこではきっと海水を汲んできて体を洗う必要もないだろうし。好きなだけ水道の蛇口からの水を、あふれるほどに出して食器を洗い、温かな湯でシャワーを浴びられるはず。それは、人間の便利さに満たされた本当の幸せに違いないと、女は思っていた。
娘との二人きりだけの暮らしをしていても、女は島で人に会うことがあった。
島には灯台のほか、やはり灯台ほどの高さがある巨大なアンテナが四本等間隔に立っていた。それは、山を越えた向こうの大きな町のAMラジオ局が送信用に所有していると、いつかそのアンテナの修理とメインテナンスにやってくる男達が教えてくれた。
男達は一人島に住む女の顔を、娼婦を値踏みでもするように、しげしげと見つめたりするが、大概はする仕事を終えるとすぐに町に戻っていった。
そんなラジオの男達の他にも、灯台のメインテナンスに沿岸警備隊の基地からこちらはオレンジのライフ・ジャケットをちゃんと着た男達がやってきたが、その男達は、愛想が良く簡単な家の修理を頼むと誰も嫌と言わないのは不思議だった。そんな時は、まるで誰かが女のために金を払って、必要そうな時にそんな便利な男達を島に送り込んでいるようで、それが、町の誰かの仕業であるのではと、疑うほどだった。
ただし、そんなことを女のために本当にしてくれそうな知り合いは、町にいなかったので、やはり女はそれを島にやってくるメインテナンス係りの男達の期待と思うことにしている。
男達は、灯台の中やレンズをひとしきり調べたり、近くの機械室のようなところに入ったまましばらく出てこないのに、女はその中で男達がただ昼寝をしているのをもう知っていた。
「この灯台は、1904年にできたらからかなりの爺さんだからね。でも、この辺りで、第五等の閃光レンズは、三番目に大きいし、それに、不動光でなくオカルティング・ライト明暗光なんだから驚くよね」
「そう、オカルトなの」
「違うって、オカルティング」
女は、相槌を返しながらそんな説明を聞き、意味は解さず、男の腕の太さを見つめていた。
そんな男達の中には結構重宝な者もいて、20?の小麦粉や非常用の4ℓ入りの水とか、そんなものを持ってくるのが女の一人暮らしでは大変だと愚痴をこぼすと、救難用のゾディアックボートに積んで持ってきてくれたりした。
どこから持ってきたのか、海軍のマーク入りのそんな食料品に、値段をきいてもただ笑っておいていくのだった。女は同じ男がやってくる時には、海草で作ったゼリーや岩場で獲ったロック・フィッシュのステーキを出してやったりしている。
そして、それをうまそうにあっという間にたいらげる男の、島では見ることのないその海の男くさい相貌と健康な食欲に、男の料理を咀嚼する口元を見つめながら、男に求められベッドに行く場面を次に描くのに、男はひどく礼儀正しくどうしてかそれは、いつまでもおこらないのだった。
女は、きっとそれは男のしている指輪のせいだろうと思っていた。そして、他に女の相手をしてくれそうな者もこの島にはいないので、アザラシやアシカと交わることを考えては、それで間違ってどんな子どもが生まれるのかと、やはりありそうもないと思いながらも、まじめにためらっている自分を知り、苦笑したりした。
ただ、体の芯の炎が鎮まらないと、本当にそんなことをしそうで、きっと自分の何代も前の先祖がそんな禁忌を犯して、それで女の血に続いているように思え、何か自分のありようの説明がされたように、ほっとしたりするのだった。
それならば、きっと、娘も同じ血があるかもしれないのに、悪いことにはただ、遺伝など世代をスキップするものだと、勝手にもっともらしいことを思っていた。
(つづく)