花は女の匂いがする
亜樹
めったにないことだが、仕事で都市部にでなければならないことがある。そんなとき交差点を歩いていると、あまりの人の多さに眩暈がするのだが、同時に誰かがつけていた甘い香水の匂いに触り、私は先輩を思いだす。
先輩は、私がSEXをした唯一の人間である。
昔から、女の子が好きだった。
自分より、頭一個分低い女の子に欲情する性癖がついたのが、いつの頃からだったのかよくわからない。
ただ、顔中ににきびをこさえた、不細工な女子学生だった私は、いつも可愛い女の子に強い憧れをもって、同時に彼女たちを憎んでいた。
捻じ曲がった感情の行く先に、先輩はいた。
先輩は私より2年長く生きているのに、私より頭一個分背が低かった。
先輩は生まれたての子どものような髪をしていた。それは綺麗なストレートで、私のごわごわしたくせ毛とは全く違っていた。
先輩は私のことを***ちゃんと呼んだ。私のことを***ちゃんと呼ぶのは先輩だけだった。他の人は誰もそうは呼ばなかった。先輩だけが呼ぶ名だった。
大学2年の冬だった。
飲み会の帰り道、私は先輩を連れて先輩の家に向かっていた。先輩は、さほど強くないのに、いつも限界を超えて飲んでいた。
先輩は、つい先日、院生の彼氏と別れたばかりだった。それまでいつも、その彼氏が迎えに来ていたので、私が彼女を送って帰ったのは、それがはじめてだった。
先輩のアパートの部屋の前で、私は
「鍵はどこですか?」
と、聞いた。抱きかかえた先輩は、ひどく軽い。さらさらの髪が、私の頬にかかってくすぐったかった。
「***ちゃん」
先輩の声はいつに増してあまかった。その唇が、近づいてくる。アルコールの臭気の中に、先輩が好んでつける香水の匂いがした。
「よけないの?」
再び離れた唇が、また言葉をつむぐ。
先輩は、キス魔だった。
雪こそ降っていなかったものの、その日はひどく寒かった。
だからだと思う。
「じゃあ、一緒に寝よう?」
そう言った先輩に引かれ、私は一晩、赤いカーテンのかけられた部屋で過ごした。
あの晩、何をしたか、具体的によく覚えてはいない。
覚えているのは、服の下、アバラが浮いた、彼女の薄い胸と、あの、甘い、花の匂い。
確か、彼女は私の下で、笑って、愚図って、嘲った。
その言葉ももう、覚えていない。
彼女は、私が好きで、好きで、大嫌いな、女の塊のような人だった。
女々しくて、うっとうしくて、ヒステリーで、集団になることで凶暴化する、寂しがりやの弱い生き物だった。
この冬、私は多分結婚する。親にカミングアウトするつもりもない。親戚にすすめられたお見合い相手と、すすめられるまま結婚。
向こうもそんなものだろう。
ただ、ひとつ、気がかりなことがある。
私の処女膜が、喪失した瞬間に、私はあのときの彼女のように、甘い匂いをさせて笑うことができるだろうか。