「おい中川さん、顔色悪いぞ」
隣で飲んでいた尾崎豊にそう言われた
いつものバー
いつもの席…
今さらになって思うのだが
このバーにはマスターというやつがいない
カウンターの向こうに自販機があり、
この店の唯一の店員である黒いスカートの女に金を渡すと、
女が適当に酒を選びボタンを押してくれる
女は金を受け取るときも酒をこっちによこすときも、絶対に何も喋らない
誰かが絡んでもひたすら黙殺するだけである
あまりしつこい客がいると、黙って店を出て、
エレベーターでビルの最上階に行ってしまうのが定番になっていた
彼女が屋上へのターミナルで何をしているのかは誰も知らない。
誰も知らない…と言ったところで今日この店にいるのは私と尾崎だけだ…
店内は殆ど真っ暗に近い
白い蛍光灯がカウンターの下で一本光ってるだけ
禁煙マークのネオンも光っているが非常口はない
そして、やはり居心地はあまり良くない
冷たい不安みたいなものが霧のように立ち込める…
そんな場所だ。
また今日も黒いスカートの女は最上階に行ってしまった
今回は他愛もない事で私がしつく絡んだせいだ
反省している。
女が屋上に上がるときは、
私はいつも黒いスカートの闇に包み込まれるような感覚を覚えていた。
女が夜の空に嘘をつく、我々はその女の影に身を隠す。
そしてここは世界の果てのような…
そんな気がした
「やっぱり、ちゃんと謝ろう」
私はそう呟くと急いでエレベーターで最上階に上がり
屋上に続くドアを開けた。
しかし、屋上には誰もいなかった。
まさか…と思い私は焦って柵のない一角からビルの下を見渡した。
すると、そのまさかだ
ビルの下では血を流した黒いスカートの女が
猫のように体を丸めて横たわっていた。
死んでいる。間違いなく…
彼女は何を思ってここから飛び降りたのか
やはり私のせいなのだろうか
罪悪感が重くのしかかった、
「ごめん、ごめんよ…許してくれ、許してくれ…」
私は無心でそう繰り返した。
頭が空っぽで何も考えられない
足が突然震えだし、力が入らなくなるのを感じた。
私はどうすることも出来ず、逃げるようにエレベーターに乗り込んだ。
11階の屋上から8、7、6、5とエレベーターは下っていった。
そして4階がバーだ。
「落ち着け、落ち着け、とりあえず警察に連絡だ。」
エレベーターの中で何度も唱えた。
実際エレベーターを出るそのときまでそうするつもりだった。
しかし
私はここで今まで生きてきた中で最も不可思議な光景を目の当たりにするのである。
またしても私はどうすることも出来ずに立ち竦むことになった。
バーを覗くと
そこには
黒いスカートの女が
あの黒いスカートの女が
いつもと同じ無表情でカウンターに佇んでいたのだ。
何事も無かったかのように…
黒いスカート…
黒いスカートの女…
いままで気にしたことも無かったことだが
女が上に着ていたブラウスは
血をぶちまけたように真っ赤だった。
尾崎豊は言った。
「どうしたんだ?中川さん…顔色悪いよ。」
私の眠れない日々は始まった…