僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならないのかなぁ尾崎
キリギリ
前にも言ったけどそれは勿忘草じゃなくて白詰草だよ。
ところで私はこの散文を読んでいるのはせいぜい5人前後だと
思っているが実際のところどうだろう。もしそれ以上いるのなら
私も考えを改め口調をですます調にしようと思う所存だ。
Linuxのように複雑怪奇なプログラムの集合体であるオペレーション
システムと上から1行ずつ読めばやがて終わる詩を同列に並べること
自体無理があると思うがさて我々は突起を探せるだろうかこの
現代ジローラモ内でも外でもこりゃスゲエ、マジヤバい、リスペクト、コッタ等
いただきマンモス的に攫いたい乙女のようなフレーズなり詩が果たして
この現代地蔵学に存在しているだろうか私には見当たらないだいたい
私だってステキなものが欲しいけどあんまり売ってないから好きな歌を
歌うだけであって誰かがホームランバー並みのイカした字列を茶碗に
埋め込んでくれれば僕はそれだけで白米3杯はいけるのだつまり
確固たるAの不在。が問題でありそれが解決するまで私達は延々
なんでもおちんこなどと嘯きはしゃぎ目を細めるお爺ちゃん先生の
手の平で太陽は僕の敵と強がってみるしかないのかい?
圧倒的なものを見せてくれないか少年少女。ネバネバ濡れる触手のような
未練がましい可能性を全て断ち切るような最終的な結末を安直な死以外で。
そしたら私は口を閉じひれ伏そう。男女問わずその脚を舐めよう。
そしてごちそうさまですと呟いた後、映画でも観に行こう。だって
その方が楽しいからね。
貴方は他人に期待しているから要求する。
私は他人に期待しないから自分で書く。それがコピペされようと
改変されようとオリジナルを越えようとそれは貴方がたが勝手に
楽しんでいればいいものであり私はその遊びに参加しない。100人の
詩人が集って書いたものにも私の詩は負けない。なぜならジャッジが私だから。
ただし萩原恭次郎の「食用蛙」と中原中也の「秋日狂乱」には負ける。
「私の身体は器械です! おつ母さん!」ってね。勝てる気がしない。