いきかえり
小川 葉

 
 
この季節になると思い出します
行きも帰りもバスでした
山奥の芋煮会場に着くと
澄んだ風が吹いていました
肌が乾いてなつかしい気がしました
網目になった体を
すうすう吹き抜けていく感触がありました

芋煮ができるまで
煙が目にしみて耐えることもまた
なつかしい苦痛のように思えましたけど
会場の誰一人として
くるしい顔をする者はいませんでした
むしろみな幸せにあふれた顔をしていました
わたし一人だけおかしな顔をしてるように思えて
無理に笑ってみたりもしてみました

芋煮がみなにふるまわれ
わたしも一杯いただきました
こんなすかすかの
乾ききった体にも熱い汁が入っていきました
肌の隙間から汁がもれやしないかと
気が気ではありませんでしたが
そのようなこともなく安心しました
そうしてやっと笑うことができました
無理にではなく
自然な笑みがふと
こぼれていたのです

人はこんな季節になっても
まだ生きていたい
もっと生きたいのだから
このような催しが行われるのだと思いました
あたたまった体はまたすぐに
秋の風に乾かされていって
ついさきほどまでのあの賑やかな会場のできごとも
なつかしいものに変わっていくのを感じていました
二度と取り返しのつかないことばかり
生きてるとしてるような気がして
やはりこの体は秋の風と一緒で
乾いたものの隙間からまだ形あるものへと
秋の風はすべてを通り抜けていくので
おそろしいとさえ思いました

帰りのバスに乗ろうとすると
芋煮会場で雇われている老女が
わたしを見るなり手を握りしめ
そうして千円札を一枚
その手の中にねじこんで去りました
老女はすぐに仕事にもどってしまったので
わたしは唖然として立ち尽くしていました
もう出発するのだと
クラクションを鳴らす音に気づくまで
その働く老女を見つめたまま
ずいぶん長いこと忘れていた記憶を思い出しながら
くしゃくしゃになった千円札を握りしめ
立ち尽くしていました
遠い過去にもこれと同じことが
確かにあったのでした
あの頃のままの小さな体が西日にあたり
前よりも長い影がどこまでも伸びていきました

そこまで語り終えると
老女はまた深い眠りについてしまった
ある病室で
この見知らぬ老女を看病していることは
偶然ではないような気がしていた
呆けてしまっているが
語ることのすべてが
わたしが経験してきた記憶とぴったり一致する
この老女がわたし自身のような気もしてきて
窓をあけるとやはり秋の風が肌を通り抜けていくのだ
それがとてもなつかしいのだ

母さん
わたしはけっきょくあなたには会えずに
今も見知らぬ老女を看取っています
あなたは遠いむかしに死んだと聞いていましたが
ほんとうにそうなのでしょうか
この見知らぬ老女さえ
あなたであればと思うことがあります

すると老女はむくりと起きて
わたしの手を握りしめ
その中に千円札をねじ込んで
その夜死んでしまったのです

母さん
あなたに会えないまま
こんな出来事がもういくつもあるのです
この千円札をくれるのは
あなたなのでしょう?
きっとあなただ
あなたであるはずだ

この季節になると思い出します
行きも帰りもバスだった
陽だまりの中
母さんの背中で眠っていた
幸せだったとき

この季節になると思い出します
行きも帰りも
母と一緒でした
 
 


自由詩 いきかえり Copyright 小川 葉 2009-09-19 02:53:13
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