夕日坂
灯兎

白んだ月が、ビルの谷間にぼんやりと浮かんでいて、僕の想いも白けてしまったなと行くあてのない感慨を持て余してしまう。一度も君を抱きしめられなかった思い出を、缶コーヒーとセブンスターで追悼して、また歩き出す。この時間帯の、私は人様のことなんて知りませんよ、という風に澄ましている空も好きだけれど、やはり僕は夕日を好もしいと思う。ほこりをたっぷり孕んでなお輝く赤みと、昼の慌ただしさと夜の静けさの熱量が等分で入り混じった温もりが映し出す影。その優しさは、弾力を失った僕の心にもわかりやすい。

学校からの帰り道で、住宅街の真ん中を突っ切る坂を下っていた。あのときも夕日を背にしていて、背の低い君に合わせて小さくした歩幅が、二人の影をゆっくりと揺らしていた。その坂を下りきったところには、Y字路があって、いつもそこで君の手を離してしまったことを、いまさらのように悔やむ。

物語の中でありふれている幸せに恋をしていたんだろうと、やっと思える。あの頃の思い出が今でも優しくて、その柔らかさに、今でも君の手がそばにあるような気がしてしまう。あのY字路みたいな別れを、あれからの僕は何度経験してきたのだろう。迷って、うろたえて、決意して、そのときなりの最善を尽くしてきたつもりだけれど、今の僕には何も残ってやしない。つまり僕は曲がり角の度に、道を忘れないように、いつでも戻れるようにと、自分の中の何かをそこに結び付けてきてしまったのだろう。その中にはもう二度と手に入らないものや決して失ってはいけないものがあって、そのことを考えると僕は影が半分に引き裂かれたような気持ちになる。

いつの間にか、君だけを見ていたつもりだったのに、結局は君だけを見ていなかったのかもしれない。でなければ、こんなふうに空っぽになってまで、君のことを想い続けたりはしないだろう。君の話すことや君の描くもの、指先に伝わる君の鼓動さえも、僕には愛しくて、その重さと大きさが怖くて、明日のことまでも見失ってしまっていたんだ。そんなありふれた、くだらない日々にさえ、僕はもう戻れなくて、今も残るのは優しさの余熱だけなんだ。

一人で歩いてきたはずの道なのに、誰かが誰かを探しているような気がして、立ち止まって、月を見上げる。今の僕のそばにあるのは、ひとつ足りない影とひとつ分の余熱だけだというのに、振り返ればまだいつでも君の手を掴めるんだと思っていたい。


散文(批評随筆小説等) 夕日坂 Copyright 灯兎 2009-09-17 07:16:16
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