果物の皮を剥くのが上手い理由
吉田ぐんじょう
金曜ロードショーや
日曜洋画劇場で
「教育にいい」ような映画を
放映する日は
子どもはコーヒー牛乳を飲んで
映画が終るまで
観てもいいことになっていた
たとえば「ローマの休日」や
「E.T.」や「刑事コロンボ」
なんかを
温かいカップを抱えて
特別な気持ちで
観ていたことを覚えている
父はCMが入るたびに
何か口へ入れたがるので
果物を剥いて皿に盛り
食卓の上へ
予め置いておくのだが
わたしが包丁を
つかえるようになってからは
皿洗いが終って
ふきんが干してある台所で
その季節に応じて
林檎や梨や柿を剥くのは
わたしの役目になった
父はみじめなことが一番嫌いだ
たとえば林檎をひとつだけ剥いて
小さいお皿に入れて持っていくと
お供え物みたいでみじめだ
と言って機嫌が悪くなるので
ふたつかみっつ一気に剥いて
大きいお鉢へ入れて
持っていくのだった
どおんと置かれた果物は
地肌を見せて
テレビだけが光を投げかける
(父はテレビであっても
映画館みたいに居間を暗くした)
薄暗い食卓の上で
なんだか
所在なさげに見えたものだ
当時はビデオが主流だったから
CMのたびに録画を
一時停止しなければならなかった
これは「大きい人たち」
のやることで
子供はデッキに
さわっちゃいけないことになっていたけど
一度だけ
父がよそ見をしていたとき
CMに入るのとちょうど同時に
一時停止ボタンを
押したことがある
父は喜んで
「機械に強いからゆうこは東大に入るな」
なんて冗談を言っていた
今でも時々思い出す
「ゆうこの剥いたのが一等うまい」
と言いながら
しゃりしゃり果物を噛んでいた父や
珈琲を飲みながら
テレビに眼を
釘付けにしていた母のこと
騒ぐと
音が聞こえない
と言ってわたしをぶつ兄や
レースのかわいいパジャマを着ていた
おにんぎょうみたいな妹のこと
もう寝ていた祖母の
パーマをかけた灰色の髪
そんなことを
今でも夜
果物を剥くたびに
結局わたしは
東大には入れなかったし
15歳の時に
結婚しない
と断言した兄の代わりに
跡取り娘に
なることもなかった
けど
本当のわたしは
まだあのときの居間で
どきどきしながら
ミルクコーヒーを
飲んでいる気がする
多分
そうに違いないと思う