「ヴィヨンの妻」太宰治
小川 葉

 
 
息子が生まれた日のちょうど一ヵ月後、
わたしはそれまで勤めた職場を辞めてきた。
午後四時半頃だったと思う。
いつもより早い帰宅に不穏な顔をしてる妻、
わたしはアパートのドアを開けるなり、目が開いたばかりの息子が眠る
ベビーベッドの前まで歩き、立ったまま泣いた。
それから妻の胸に抱きついて泣いた。
何があったの、と聞いた妻に、
わたしは何も話すことが出来なかったけれど、
ひとことずつ、ひとことずつ、言葉にしていって、
そうして妻がわたしに言ってくれた言葉を忘れない。

あの時のことを思い出す。
太宰治の「ヴィヨンの妻」を読み返すたびに、
締めくくりのあの言葉ほどゆるしと希望に満ちているものはない。
もはや聖母である。
不思議なことに、つきあってから10年近く連れ添った今の妻と、
結婚する少し前くらいから、
後期の太宰を読むようになっていた。
三十半ばくらいからの太宰の作品がとても好きで、
むしろ中高校生くらいの時に「人間失格」を、読書感想文用に読むよりも、
人間まるごと共感できた気がする。

とりわけ、新潮文庫の「ヴィヨンの妻」を愛読した。
捨て作品がない、その中でも、「母」「ヴィヨンの妻」「家庭の幸福」そして「桜桃」へと、
流れていく構成が、三十半ばの男には等身大な共感および衝撃として、
今もわたしの精神の源になっている。

あれから五年になる。今が、わたし自身の「ヴィヨンの妻」のその後、
なのだとしたら、また時々読みたくもなり、
今も手の届くところにある。

時々冗談めかして妻に言う。
ヴィヨンの妻はあなたで、大谷と言う詩人もここにいる。
(笑)でしめくくって、冗談にしていたいけれども、
「ヴィヨンの妻」という太宰の背景に、戦争があったなら、
現代は、戦争を経済に置き換えればわかりやすい、
そんなふうに今読むべき、読まれるべき作品であるのだから、
映画化され、映画祭でも最優秀賞を得ることが出来たのかもしれない。

男主導の戦争が、その時代に終焉を迎えたように、
男主導の経済も、現代に終焉を迎えたのである。
そんな時代に、女性ほど強い生物はないのであるが、
しかし現代、戦後の大谷の妻ほどに、希望に満ち溢れ、
絶望的な逆境をも笑い飛ばすほどに、
すべてをゆるすおおらかさ、前向さ、しなやかさが、今の女性的意識にあるだろうか、という、
今太宰の作品が満を持して映画化された理由は、生誕百年であると同時に、
太宰が生きた時代と、とてもよく似た現代における、
あらゆる問いかけにもなっているはずだからだ。
安っぽい幻想で、誤魔化されてきた私たちにも、
安っぽい幻想で語ることしかできなくなっていた、私たちにも。

「ヴィヨンの妻」は、こんなふうに締めくくられている。



・・・・・僕は今だから言うけれども、去年の暮にね、ここ(飲み屋)から五千円持って(盗んで)出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」
 私は格別うれしくもなく、
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
 と言いました。



http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2253_14908.html
http://www.villon.jp/
 
 


散文(批評随筆小説等) 「ヴィヨンの妻」太宰治 Copyright 小川 葉 2009-09-10 04:10:52
notebook Home 戻る