僕のある日の過去
番田 

僕は思うことをどこまでも折り返して書き連ねてみる。文章は続いていくのだ、太く長く続いていくことだろう。白いそこに巻き取られることなく。けれどトイレットペーパーのようにそれが何らかの文章になっているかどうかはわからないけれど、どこまでもじっと埋め尽くすように紙の上を黒く続いていく、コンクリートの歩道だった。何年もアメリカを訪れたことはない君は、前に天高いガラス張りの窓であり、ビルの体であり、上野にもあるような様々な僕を待ち受けていたのはハードロックカフェで、ギャラリーを巡り、チェルシーエリアでオレンジジュースをクイーンズで飲んで帰った。黄色い日本でも買えるようなギャップのTシャツを購入し、そして知らないイタリア人と意気投合してドミトリーで輝かしい彼らの文句を引用しては、彼は知らない哲学者の名前を何度も出し、哲学の知っている哲学者の話を出したものだ。君も話にいくつもの花を咲かせた。そしてカフェで飲んだこともないような色の飲み物を何倍も飲み、夜になるとニューヨークの地下鉄ほど面白いものはなく、ホモセクシャルのように肩を抱き合って地下鉄を笑っていた。いつまでも何周もさせられた。入れ替わり、この近くを取り巻く黒人たちが立ち替わり現れるのだ。紫色の風体の人たちが目の後ろに、見たこともないような靴下に、ピンクのフレームの眼鏡の女の子、ナイキのチームの極彩色のTシャツ、ゴスペルの匂いを漂わせたファッションの、どこかのバスケットシューズに。ハーレムあたりを出ると。


自由詩 僕のある日の過去 Copyright 番田  2009-09-07 02:05:49
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