Deoxyribo Nucleic Acid
ジャイコ
* adenine *
墨色に溶かされたあなたの体が、
ここでは美化されて壁に飾ってありました。
両の腕は二重螺旋の鎖でしっかりと繋がれていて、
アデニンの色に染まった空が少しだけ泣いているように思えます。
細長く節のある体からは既に全部が失われていて。
きみはただ柔らかく泣くしかできない現実から半分だけ消えようとしていました。
両目のレンズがくもり始めたので私は、
そろそろ新しい鎖を結わなくてはいけません。
それはきっと夕日の落ちる先へ進むための道しるべ。
いいえ、ただの鍵なのでしょうか。
どちらにせよ、予兆は大切に扱うべきだと
祖母からきつく言われていましたもので、
そろそろきみの足を切り取るべきなのでしょうね。
苦悶する音が、私の胃袋の奥底へと落ちる日に、
あたらしいあなたは、そこできっと生え揃う。
そんな気がしています。
* cytosine *
ぬめりを帯びたきみの声は、
今もなだらかな黒髪に吸い込まれてしまい。
絡め取られた手足の先に求めたシトシンの意味を、
きみは簡単に剥がしては食べてしまいます。
なくした記憶の部分に緑色のわたしは存在していないので、
わたしはすぐにかなしくなって空に還ることだけを考えてしまうのだけれど、
不自然に伸びたシトシンがきみの心臓を撫で擦っていることが、
わたしには不快で仕方がありません。
繋がったコードはマイナスの電気しか通さないので、
わたしの手紙はきみに届かずに螺旋階段の奥底へと沈められてしまいます。
そしてきみは今日もあおいろになれない自分を呪いながら、
後戻りできない塩基配列を並べ替えようとしているのでしょう。
雨は、夜には星となりえるのでしょうか。
* guanine *
干からびた夜空にわたしの喉は辛く蠢いて。
きみに見せたかった星が未だ見つけられずに困っています。
やっぱりあの日に流れ落ちてしまったのではないでしょうか。
夜が更けてしまうと、
愛についてのいろいろを見失ってしまいそうになります。
グアニンと共に海に流してしまった君の眼窩は、
まだわたしの胃の内側にへばり付いていて消化できていないのです。
手のひらを見つめていればきっとなないろの海の向こう、
細胞膜の中できみはわたしを待ってくれているというのに。
どうしてこんなにも整然と並んでいるのでしょう、
アデニンはチミンと、グアニンはシトシンとしか手を繋がないのですが。
きみから貰った星を入れておくための籠が、
わたしの足元を絡めるこのヌクレオチドで編んだものだといい。
手のひらを閉じ込めてしまえばきっとそれは誰かのたまごで。
グアニンはわたしを待つきみをそこから海に流そうとしているのですよね。
空の青がわたしの母だったとしても。
* thymine *
君が食べた星の欠片をかき集め、
落ちてゆくチミンの傍へと沈めることにしました。
そうすれば切り離した君の足がどこからか生えてくると、
指先が求めていた海が教えてくれたのです。
刈り取ったみどりいろは
空の名前をずっと考え続けている蛙たちにあげることにしました。
彼らはそればかりを記憶の星に押し込めようとしているので、
少しばかり困惑することもあるのですが。
君の描く塩基配列の中でわたしは、
君の白い腕ばかりを食べている筈でした。
どこで組み間違えたのでしょうか、
ここにはもう食べられる程輝いている星がひとつも残っていないのです。
伸びゆくチミンの指先が、
わたしの食べ尽くしたみどりいろをなぞります。
そのたびにチミンはひとまわり小さくなって、
追うように音だけを残して逝きます。
笑顔を忘れた蛙たちの足音がそろそろ頭上に迫り来る夕闇。
触れればぼんやりと輝きを取り戻す二重螺旋が、
わたしの足を繋いでいるところが見えました。
終わりの日まで書き込まれているよくできた設計図は、
蛙たちと同時にあちこちで増幅しては死んでゆきます。
それは今日も、わたしの意志の、届かないところで。