初秋の対峙
伊月りさ

無知な人たち、と
父の生家に唾を吐き
母が消えた
時の区分は夏、そして
秋にも依然、消えていた

秋の再来
消えている母
九月は母の誕生月
父はきちんと知っていた
本日、九月の二十五日
父には見当識もある
新宿の高層ビルの 高層階の一つを拠点に
講演、執筆するほどなので
父は暗記も得意である
なるほど、たとえば
暗記することが多すぎて 誕生日なんて忘れてしまう、
と、言ってしまえば
出世で愛を誤魔化せる
父とは結婚したくない

無知な人たち、と
わたしが思わないのは当然で
八十回も夏を終えている
祖父母が無知であるものか
祖父はわたしに会うたびに
国鉄勤務時代の苦労話に涙を浮かべ
祖母はわたしに会うたびに
すき焼きをたんと拵える
いつでも
いつでも
単一であることは
無であると言う母の傲慢

「おばあちゃんは夕方七時半頃夕飯なのよ
 八時頃にたべおわって 九時頃にねてしまいます。
 九時頃にはテレビを見ながらねてしまいます。
 お久しぶりのお手紙うれしかった。
 手紙を書きながら家にいた頃を思い出して来ました。
 手紙を書く事ないのでぶんがまとまらないでごめんね。」

入院中の祖母は
少しずつ衰えていく
体の不自由が機能を奪い
奪われた機能は、放棄されたと勘違いしたまま 還らない
七時半頃夕飯をたべ
八時頃にたべおわり
九時頃にねてしまう
毎日、毎日、毎日、毎日、毎日を送っているということを
母に教えたくはない

もう夏はおわるよ、おばあちゃん。
もう秋になるのよ、おばあちゃん。

人の誕生を
よごせる人が父ならば
残念だけれど、嘲笑いたい
「家にいた頃を思い出す」という
やさしく押し込めた感傷を
よごせる人が母ならば
消えてしまえ、と罵りたい

こういった、あらゆる想念の暴力を
墜落するほど空虚で寂しい 秋の夜長に自在にできたら
わたしは強くなれるだろうか
必ず至る多くの別れに
わたしのままで対峙して
悲しい時には泣けるだろうか


自由詩 初秋の対峙 Copyright 伊月りさ 2009-09-04 02:00:07
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