失われた胸
伊那 果
まっすぐ流れる川の向こうに
大きな病院はある
窓の灯りはみな消えて
無言のままそびえたつ
月あかりがわずかにもれてくる病室で
眠れない乳がん患者が
隣のベッドの寝息を数えている
川面の中できらりと何かが光る
あ、さかな
そう思ったらそれはただ
月あかりを揺らす流れだった
私は失われた乳房について考える
おんなはなぜ乳房を失うと
存在を否定されたように傷つくのだろう
乳がん患者は暗い天井を見つめながら
もう失われた胸をあがめた男と
無垢にしゃぶりついた二つのかわいらしい唇を
思い出しそうになり
切り裂かれる前に、やめる
メスが切り裂いたものは
彼女のよるべ
私は貧弱な胸をいつも嘆いてきた
揺らすこともなく
月あかりの下を歩く
とぼとぼと
今日の私は惨めだが
胸を失えばこの日をうらやむのだろう
川の周りには昔から
性にかかわる街が開けた
このおだやかな川のそばには
巨大な鉄筋コンクリートの病院が
生も性もよろこびもかなしみも
ぱっくりと包み込んでいる
川の流れに
投げる
そして
私は歩いていく