長い休み
殿岡秀秋
朝起きて具合が悪いといったら
「休みなさい」
と母がいう
ぼくよりいつも遅く出かける父は
今日は会社に行ってすでにいない
うまくいった
とぼくはおもった
普段なら熱をはかられて
「平熱だ
学校に行きなさい」
と父にいわれるところだ
毎朝
小学校を休む理由を探していた
朝だけ体温が高くなってほしいと願ったが
風邪でも引かないかぎり
熱を出すことはなかった
その日は部屋で
何時間も空想の戦争ごっこをした
実際はどこも悪くないので
明日は行かなくてはならないだろう
「ぐあいはどう」
夕食のあとで母が尋ねる
「まだなんとなく熱っぽい」
といって自分の額をさわった
「それなら明日も休みなさい」
母が思わぬことをいった
思わず微笑みそうになるのに気づいて
ぼくはあわてて口を閉じた
翌日も
将棋の駒を畳に並べて
ひとりで戦争ごっこをした
駒を兵士に見立てて
肩入れする方と
敵対する方とにわけて
戦国時代の戦を始める
長い時間をかけて
空想の戦争がおわり
ぼくが肩入れする方が勝ち
領土をとる
空想から抜けるときは
機関車を入れ替えて
列車に連結するように
戦国時代から現在に
頭の中で動力を切り換える
からだはすぐには動けない
空想の中では元気だったのに
だるい感じがして
ぼんやり午後の庭を見る
空想では指揮者であっても
現実のぼくにはできない
クラスの子たちと話すことも少ない
庭に出て歩く
あまり元気に歩き回ると
休んでいる理由がなくなるから
すぐに部屋に戻る
明日は行かなくてはならないだろう
夕食を終える
「どうなの」
もう二日も休んだあとだけど
小学校には行きたくない
「大分よくなったみたいだけど
なんだかだるい」
「直っていないなら休みなさい」
母がいった
三日も休めるなんて
ぼくはうれしかった
しかも明日は土曜日だ
そのまま休み続けられるのだ
少なくともその間は
休み時間に
ちょっかいを出す男がいないか
心配しないですむ
やがて日曜の夜がくる
もう休む理由もない
夕食の後で母に聞かれる
「どうなの」
いくらなんでも休めないだろう
「だいぶよくなったよ」
「でも無理して行って
ぶり返すといけないから
もう一日休みなさい」
と母がいう
まだ休めるの
ぼくは驚いたが
小学校に行きたくないので
黙って頷いた
昼間は空想の中で
遊んでいられるので
ひとりでいても
退屈することはない
戦国時代の
武将になって
天下を統一すると
一幕は終る
大国の領主になってしまった後より
侍大将になって
領主に成り上がるまでの方が面白い
ふたたび小さな国の侍にもどってから
出世して
一国の殿様になるまで
丹念に空想の劇を頭の中に描く
夜がくる
夕食のあとで
「どうなの」と母が聞く
「よくなったような気もするけど
なんだかだるい」
「ではもう一日やすみなさい」
と母がいう
ぼくはまた休めることになった
そうして十日も休んでいたら
担任の教師が家庭訪問にきた
母はぼくに来ないようにといって
和室の襖を閉めて
ひとりで応対した
それからも休みつづけた
夕食のあとで母は確認をするが
学校に行きなさい
という言葉は出てこない
「明日は学校へ行きなさい」
といつか指示されるだろうと思っていた
しかし母からいいだすことはない
ということがわかった
どうしようかと考えながら
なおも二日間休んだ
庭を見ながら
自分にたずねた
学校に行かないままでいいのか
夕食のあとで
「明日は学校に行くよ」
母に聞かれる前にいった
母は少し考えていた
「それなら行きなさい」
ぼくから言いだした以上
行かなくてはならない
朝がきて小学校までの道を歩きだす
ランドセルには
教科書のほかに
長い休みについての先生からの質問への答えや
同級生の不思議そうな視線への心構えをつめたので
いつもより重く感じた
一歩一歩が心臓に響く
背中に鎖がついていて
引っ張られるような
力を感じた
今日一日さえ終れば
どうということはないが
今日そのものが
超えがたい
同級生のみんながいるところに
ぼくだけ不在だった教室へ
まるで自分で自分を
刑場へ
運ぶ
罪人だ
しかし
ぼくの口から母にいいだしたので
帰ることはできない
ゆっくり歩いているうちに
同じ小学校へいく子どもたちは先にいって
見えなくなった
広い校門を通るのが
障害物競走で
梯子の中をくぐりぬけるように
窮屈だ
校舎の入口で
下履きを脱いで
上履きに履き替える
クリーム色の天井が
鏡のように反射して光る
胸に
鈍い痛み
金属の塊が
内臓に当たるみたいだ
長い廊下を行く上履きの音は
心臓の音と重なる
壁の染みが目になっていて
珍しくやってきたぼくを見つめる
壁の目と目がささやきあう
「ずいぶん休んでいたじゃない」
「もう来ないのかとおもったわ」
教室の扉の前に立つ
会合を開く異星人たちの喚声が聞こえる
ここまで来て帰るわけにはいかない
ついに扉をあける
ひと月前と同じ教室の風景がある
クラスの子たちは
昨日もぼくがいたかのように
話しかけてきた
一時間目が終わって休み時間には
毎日通っていたころの生徒に戻っていた
数十年が過ぎて
父の通夜の日に
母がうつむきながら遺品を片づけていた
「あなたが毎朝小学校に行きたがらなくてね」
と母は突然
立っているぼくに語りだした
「今朝はどこが痛いというのかな
といってお父さんはあなたを起こすのよ」
具合が悪くないなら
学校に行くように
父はぼくにいっていた
ぼくは小学校に行きたくないとおもいながら
朝を迎えていたが
父とのそんな会話を覚えていない
「あんまり学校に行くのを嫌がるから
あなたを休ませなさいと
お父さんがいったの」
ぼくの長い休みに父が関わっていたことを
そのときはじめて知った
そういえば
いつもはぼくより遅く出かける父が
長い休みの間は
ぼくが起きたときにはいなかった
「自分から行きたいというまで
行かせないようにと私にいったわ
必ず行きたいというようになるから
それまで待てとね」
父は普段はぼくに学校に行くように
いっておきながら
内心は心配してくれていたのだ
父が寝ている部屋にひとりでいって
白い布をはずし
冷たい額をなでると
涙があふれた