昨日のリタ
ホロウ・シカエルボク





ちょっと失態に見えるような
歴史の中で真実は息をひそめていて
俺が道ですっ転んだりした拍子に
目と目がバッチリ合うのを待っている
まるで控え目な女のように
まるで手綱の引き方を
よく判っている牧師のように


忘却のリズムはいつだって
誰も気づかない時間にこそ
巧妙にカウントを開始するもので
メモの出来ないタイミングに思いついたことなんか
余程のことがない限りは思いだしたりしない
ヴェランダで湿気にネをあげるサボテンのように
幾つもの言葉が虚空にとけてゆく


ハニー、ハニー
いつかのシロップを使ったパンケーキを作ってくれ
あれがないといろんな状況に
うまく入り込むことが出来ない
思うに、あの糖分の状態が俺にはちょうどいいんだ
オーダー・メイドのコートのようにジャスト・フィットなのさ
あれがないといろんな状況にうまく入り込むことが出来ない
俺はいつでもそんな甘さに依存してしまう


ショッピングモールの駐車場で抱き合っている
十代の男女
人の目も気にせず舌を絡ませている
素敵な息づかい
果てのない夢の中に滑り込んでいく二人
それだけ取れば綺麗な話に聞こえるはずなんだけど舞台がマズすぎる
男の膨らんだジーンズのフロントは安いアダルト・ムービーにしか見えない


午前一時を過ぎたころ電話ボックスの中で
電話帳をめくり続けている女を見た
彼女はどこにも電話をするあてなんかないみたいに見えた
他にすることがなくて仕方なしにそうしているというように
一〇分眺めてからボックスのドアをノックした
俺も別に電話をかけたいわけではなかった


「ごめんなさい」女はそう言いながら
電話ボックスを出ようとした
違うんだ、と俺が言うと不思議そうな顔をした
「退屈しのぎのお手伝いが出来ればいいかなと思ってさ」俺がそういうと
チャーミングなはしたなさで笑いながら
部屋に招き入れるみたいにドアを抑えて俺を迎え入れた
俺はふざけた会釈を返しながら
中に入るときに開いていたページを盗み見た


彼女が見ていたのは医者のページで
とりわけ産婦人科の広告がたくさん掲載されてるページだった
その項目は俺にいろいろな暗い話題を連想させたが
せっかく迎えてくれた女に
そんな詮索はするべきではないと考えてこちらからは聞かなかった
女の顔を見ると彼女はまっすぐに俺のことを見ていた
(聞きたければ聞いてくれても別にかまわないのよ)
そんなことを言いたげな顔をしていた


俺はそんなことの一切を無視することにして
ぺらぺらと電話帳のページをめくった
あるところで俺は指を止めてレストランの広告を指さした
「ほら、ここ」
女はあまり興味がなさそうに俺の右肩越しに電話帳を覗きこんだ
「店の裏でニワトリを絞めて出してる、だから凄く味がいい」
ん、と彼女は喉の奥で音を出しながら眉を寄せた


「殺したてが美味しいなんて嫌な話ね」
もうたくさんと言うように首を振って見せる
だけどそれは彼女なりの
会話の発展に向けての演出のように俺には見えた
犠牲の概念が欠落したものには、と俺は話を続けた
「本当の深みというのは感じられないものさ」
女は目を丸くしてワーオという表情を作ったあと
リタと名乗りながら右腕を差し出した


次の日新聞を開くと社会面の下の方に
ショッピングモールの駐車場でセックスに励んだ
若いカップルが逮捕されたという短い記事が載っていた
俺はパンを食べながら
インスタントコーヒーを流しこんでいた
昨日のリタが退屈しのぎの相手をした礼に
バツグンのパンケーキの焼き方を教えてくれるという
俺は電話のベルが鳴るのを待っている
本当は彼女は


電話する相手を探していたのかな、なんて
くだらないことを考えながら






自由詩 昨日のリタ Copyright ホロウ・シカエルボク 2009-08-22 17:55:34
notebook Home