憧れの人に会いに青い海を渡ろう
虹村 凌

珈琲屋に寄って一休み極めてる間も
彼が桟橋を一番先まで駆け抜けている間も
彼女が砂浜から上がったテトラポットの上で踊っている間も
秒針が俺の人生を刻一刻と追い詰めていく
みたいな事が言いたいんだけど上手くいえない

ポケットに入れっぱなしになっていた
薄べったくなった煙草に火をつけて
薄らぼんやりとそんなことを考えながら

瞬く間に満ち満ちていく潮を見ていた
左右から押し寄せる波の合間は
引きが強いから
足元の砂がズルズルと溶けていく感覚が大きくて
面白かったんだ
彼女も面白そうに笑っていたよ

ふと足元を見ると
カナブンが引き波にさらわれそうになっているのが見えた
手を伸ばして捕まえると
その小さな硬い体から
弱りかけた
それでも小さな生命力を感じたんだ
何かいい事した気になって
まだ満ちるには時間がかかりそうな砂浜の上に放した

波打ち際に戻って気をつけてよく見ていると
それ以外にも数々の虫が波に飲まれてしまっていたんだ
恐らくこの海岸のずっと先まで
そうやって虫が飲まれていってるんだろうし
この海岸だけじゃなく
日本中で世界中でそうなってんだろう
と考えると
逆に彼だけを救出した気になっていた自分が恥ずかしくなってきたんだ
何と言う偽善!
また恥が増えたよ

煙草の灰が落ちて波に飲まれていった

しばらくすると
先ほどのカナブンかは分からないけれど
一匹の甲虫が海に向かって飛んでいくのが見えたんだ
それが彼のやりたい事なのか
ただ明るい方向に飛んでいってるだけなのか
もしくは運命を悟っているのか何なのか知らぬが
言いようの無い
得体の知れぬ感情に襲われて
「何だそれ」と思わず言ってしまったんだ
思わず言ってしまったんだ

海を越える蝶がいるのは知っているが
海を越える甲虫は知らない
生命
生命
生命
食物連鎖?
俺が死んだら
みんな喰ってくれんのかな

彼女は聞いたんだ
「この海の向こうには何があるの?」って
それが地球儀の上の話じゃない事はわかったんだけど
どうしても答えられなかったんだ

煙草が短くなってきているよ

世界は生ゴミと癌細胞の中に横たわって
あんなにも愛した世界を
あんなにも憎んだ世界を

気付いているさ
与えられる側じゃないって事は
だからもう君の魔法には夢が無くなったし
ちっとも効きやしないんだ

さようなら
もう疲れちまったよ
まだ海は俺を連れて行ってくれないみたいだけどね


自由詩 憧れの人に会いに青い海を渡ろう Copyright 虹村 凌 2009-08-15 21:51:22
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