病院にて
緋月 衣瑠香
現実世界なのに現実から浮いている
ふわりと白いくせにぴりりとした空気が漂っている
座っている青いシートの椅子さえも虚空に感じる
この世界でもっとも異世界に近い場所に来てしまった
しずかなのだ
足音だってしゃべり声だって聞こえる
しかし、しずかなのだ
だった一つの声が耳に入らない限り無音の世界
よくわからない緊張感と闘っている
自己封鎖的世界
そこにどっぷりと浸かっている
と、
通路を挟んで隣の席にベビーカーを押す女性が座った
女性は赤ん坊に話しかけるなりベビーカーを揺らした
赤ん坊は女性を見て声をあげ笑う
母親らしいその女性は声なく笑う
しかし、彼女は気付かない
後ろの席に座る若者の男の足がベビーカーの後ろに無造作に投げ出されていることを
しかし、彼は気付かない
あと三センチ以上ベビーカーを動かされてしまうと自らの足が踏まれてしまうことを
若者の顔には表情がない
黒いスウェットで白い携帯電話を弄っているだけだ
ふと赤ん坊が母親から目を逸らす
その次に焦点があったものは私の目
何かを求めるようにまじまじと見ている
やめておいた方がいい
私の目から得られるものは黒いものばかりさ
そんな綺麗な目で見ない方がいい
しかし赤ん坊は視線をずらそうとはしない
青い椅子に座る私は青白くなっていく
新種の金縛りに遭い逃げることなどできない
血の循環が良さそうな赤ん坊と血の気が引く私はただ見つめ合うだけ
二六四番の方、お入りください
唯一私が求めていた声が私を金縛りから解放した
赤ん坊の目は宙を彷徨っている
白いマスクをした看護師が白いドアの前で待っている
彼女は私の味方か?
それとも敵なのか?
答えなど出るはずもなく
その疑問は赤ん坊の体内に吸い込まれていった
足音がする
それは私の足音だ
しかし、やはりしずかなのだ
ぴたりと白いドアの前で止まる
赤ん坊もその母親も若者も今は何をしているかわからない
私がわかるものは私を見ている看護師の視線だけ
白いドア
それは、また一段と現実世界から浮いている世界との隔てである
音を立てぬようにとしずかにドアノブに手をかけた