よちぼ
小川 葉

 
 
よちよち歩きの頃から
そう呼んでくれた
近所の酒屋の父さんが
亡くなった

いつか帰省した時に
店にタバコを買いに行くと
タバコよりもたくさんの
缶ビールをくれながら

帰ってきてだが
よちぼ
おがったな
よちぼ
酒飲むようになったべな
よちぼ
わらしの時とひとじだな

と言うたびに
よちぼよちぼと缶ビールを
一本また一本と
持ちきれないほどくれるので
もういいですよと笑うと
その細い目を
もっと細くして父さんは
生まれて間もない
赤子を見るような目で
僕を見て
笑ってばかりいるのだった

仙台で暮らしてることを話すと
むかし仙台で
若いおなごがいる店で
楽しい思いをしたというような
話をしはじめたので
僕はじゃあ今度一緒に
その店に行きましょうと
少し本気で言ったので
よちぼに言われたらかなわないと
嬉しそうに
行ぐべ行ぐべと
僕の背をたたいて
でも女房には内緒な
と小声で耳打ちする
父さんと目を合わせて
二人して笑った

あの約束がまだ
果たされていない

僕は酒屋のとうさんの
目が一番細く写ってる
写真を一枚借り出して
仙台の街へ連れて行く
若いおなごのいる店に
父さんを連れて入って行く

二名です
写真を出して断言する
いつもの娘を指名すれば
父さんの目は細くなる
ウィスキーを一滴
写真にたらすと
目はもっと細くなる
よちぼよちぼと嬉しそうに
目が消えてなくなるくらい
細くなって笑ってる

帰り道
飲みすぎて
よちよち歩いて家に帰る
その途中
赤信号を渡りかけると
胸の中の父さんの
声が聞こえた

よちぼ!

はっとして
立ち止まる
鼻先をかすめて
猛スピードで
車が通り過ぎていく

よちぼは
いつまでも
よちぼだから

父さん
わかったよ
今までありがとう
でも僕はもう
だいじょうぶだ

胸ポケットから
写真を取り出すと
今はもう
よちぼと呼べない父さんが
いつまでも
いつまでも
僕を見て笑ってる
 
 


自由詩 よちぼ Copyright 小川 葉 2009-08-03 03:14:19
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