白鳥ロケット
ゆたんぽ

ストレス性の胃炎で病院に行ったら
長生きしなさいって
医者がマルボロを一本くれた
やさしいねって言ったら
いいえ、仕事ですからって
カルテにロケットを落書きしながら言う


家に帰ると
きみは水仕事をしていて
お湯が出ないのって
濡れた手のひらを僕のおでこに当てる
ひんやりとした君の指紋が
首筋まで流れて
前歯から奥歯まで押し流してしまったから
ただいまもろくに言えない
そういえば
帰りにイトーヨーカドーに寄ってくるのを忘れたっけ


それから一言もしゃべらないでいると
日が暮れてしまったので
夕飯にしようと
きみが出した食材の
なにひとつ噛み砕けないこと
それでも、お腹は空いたから
処方されたマルボロに
息を吸って火をつけること
みんな
切れかけた電球が
完全に沈黙してしまった
その夜のこと


新しい電球を
病院帰りに買い忘れたのを
あやまろうと口を開いた
そのときの煙で
幸せの輪っかを作れたなら
あるいは
地球の地軸が傾くことは
なかったかもしれないけれど
吐き出した煙は素直じゃないので
煙たいと怒ったきみは
煙探知器のサイレンみたいで
僕の頭から
じょうろで水をまいて
スプリンクラーのふりまでする
おどろいた拍子に
煙草の火はすっかり消えてしまった


僕たちなら
ロケットみたいに
もくもくとたくさんの煙を吐き出しながら
煙草の火で
宇宙まで行けると思った
それでも
胃炎の人間はパイロットになんてなれないと
今更気がついたときの
その胃の痛みったら
忘れられない


宇宙なんてなにもないわよって
星を眺めながらきみは言う
矛盾の中を飛ぶ白鳥は
手を伸ばしたら分裂してしまった
ベランダに落ちた
その欠片の光をここで拾う


胃炎に悩む夕食に
とんかつなんて出されたときには
間違いなく
きみを殺そうと誓ったけれど
その意地悪さを
愛と名付けたら
地球の遠心力で
僕らが吹き飛ばされない理由を
少しだけ
理解できたような気がする


新しく歯が生え始めたころ
もう一度病院に行ったら
長生きしなさいって
今度はたまごボーロをくれた
やさしくないねって言ったら
まあ、趣味だからって
あのときの医者が笑う


たまごボーロをひとつかじると
世界の片隅で
根を伸ばした種子の芽が
地中から首を出して
初めての呼吸をする




自由詩 白鳥ロケット Copyright ゆたんぽ 2009-07-30 21:22:23
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