かぜごゑ
吉田ぐんじょう

風邪 いちにちめ

体のなかはあついのに
皮膚の表面はつめたい
俗に云う風邪なのだと気づいてからは
ずっと布団の中でグレープフルーツを齧っていた
昇ってくる陽にそっくりな果実は
わたくしの爪で容易く破られ
はしたなく果汁を空気中にばらまく
息もつかずに三つ四つたべれば十分なのだけど
爪で果皮を破るのがおもしろくて
床へじかに座り込んで
へたの少し凹んだところに
親指を差し入れて破りつづけた

親指がひりひりしてくる頃には
うちじゅうのグレープフルーツを
すべて破り終えたあとで

そのまま横倒しに倒れたら
グレープフルーツばかり盗む
泥棒になる夢を見た


風邪 ふつかめ

おかあさんおかあさん
と呼ぶ声で目をさました
あれ わたしには子供がいたのだっけ
と思って目を開ける
子供は
ちょうど陰になっていて見えない貌で
おなかがすいたよう
とひいひい泣いた
おまえにはなにもしてやれないよ
と言ってはっと気がついた

少し口を開いた子供の口元には
ぞろりと揃った鋭い犬歯が
ぴかぴか光っていて
その奥に拡がる闇ときたら
何かいろいろのものを内包して
天井の四隅と同じ色をしているのだ
ああそうか
わたしはこの子に食われるのか
どんな死に方をするものか
ずっと考え続けてきたんだ
妙に安堵して少しねむった


風邪 みっかめ

窓の外を見ると
空が黄色かった
クレオンで厚く塗ったくったような
黄色い空の下で
道行く人たちはなんでもない顔をして
笑ったり
乳母車を押したりしている
油で素揚げされているみたいな
蝉の声が降りしきる
きっと熱の所為もあるんだろうけれど
この世界はなんて異様なんだろう


風邪よっかめ

ようやく起き上がれるようになったので
トローチを買いに行った
背骨が変に湾曲している
身体がふたふたと頼りなくやわらかい
どうもこのまま猫になりそうな予感だ
確認のために爪を見てみる
人間のままのやさしい形の爪だったので
ほっとした


風邪よっかめ・午後

帰宅してトローチを舐めようと封を破ると
それはトローチではなくて笛ラムネだった
所在ないので
口をとんがらかして咥えて
ぴゅうぴゅうと音を出してみる
それは
高層ビルの路地裏を吹き抜けてゆくような音で
窓の外では
風邪に罹る前に干した洗濯物が
曇り空にひるがえっていて

ああなんだかさみしいなあ
布団の中からは汗と垢のまじりあった
野蛮なにおいがする

誰かやさしい人が来て
抱いてくれやしないだろうか



自由詩 かぜごゑ Copyright 吉田ぐんじょう 2009-07-29 18:21:17
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