ムササビとマタタビ
木屋 亞万
「ムササビはセックスした後の精子が固まって栓として膣を塞ぐらしい。次のオスがセックスするときはコルクみたいなペニスでその栓を引っこ抜くのだそうだ。人間の精子もそんな風になっていたら、浮気とか離婚とかがもっと減っていたかもしれない」
男はジョッキを片手に持ったまま、そんな話を私にしてきた。
「それから猫はマタタビの匂いを嗅ぐだけで恍惚状態に浸れるそうだ。マタタビの臭いを嗅いだり、舐めたり、かじったりするだけで性的興奮が得られるのだそうだ。マタタビを嗅いで欲望を処理できていたら人間はもっと幸せだったかもしれない」
男はジョッキに半分ほど残っていたビールを飲み干して、さらに続けた。
「それにしても人間はどうして浮気をするのだろう。もともと浮気をする動物なのだとしたら、それは責められる行動ではないのだろうが、浮気しない個体もいる以上、人間にとってそれは罰を受けるべき行為なのかもしれない」
「俺がムササビだったら毎晩怠ることなく彼女の精子栓を引き抜いて、新しいものを流し込んでいただろうか。たぶん違うだろう。俺がムササビでも他の男が俺の精子栓を抜いて、新しい栓に注ぎかえるなんてことが起きるのだろう。そして、何も知らないままに俺はそれを抜いてしまうのだ」
「もし俺や彼女が猫みたいにマタタビを嗅ぐだけで性的快感を得ることができていたら、浮気などしようとは考えなかっただろうか。それとも猫がマタタビを嗅いで、セックスもするように、俺たちも貪欲に快楽にしゃぶりついていただろうか」
男は日本酒の熱燗に切り替えて、なおもこう続けた。
「カマキリのオスはセックスをした後、自らの身を餌として差し出したりしないそうだ。メスがオスより大きくて、動くものに襲い掛かる習性があるから間違って食べてしまうだけらしい。セックスをした後、オスは食われないように全力で逃げるのかもしれない。ことを終えた後のあの脱力状態で、全力疾走で逃げるなんて人間の俺には考えられない所業だ。人間でよかったと思うのは、人間に寝具があることくらいだ」
そういうと男は芋焼酎のロックを飲み干した。
お開きの雰囲気が近づいてきた頃になると、男は「猫顔の女がマタタビで感じるのか、今度試してみたいと思っているところだ」と言いながら、二人で開けたワインのコルク栓を手の中で遊ばせていた。
「そういえば人間にもこんな栓があったはずだ。用途はマタタビと違うみたいだけど」と言うと、最後に水を一気飲みして立ち上がった。
「ちゃんぽんすると酒がよく回る」と言って、こちらをふり向いて笑った顔がとても動物らしくて印象的だった。