井の中の蛙 未練を知る
nonya

井の中の蛙を掌にのせて
珍しそうに眺めながら
「大丈夫だよ」と彼女は
うわのそらでつぶやいた

程好いぬくもりにとろけて
居眠りしていた蛙は
「大丈夫だよ」という言葉を
うっかり「好きでいるよ」と誤訳した

井の中の蛙が珍しくなくなって
何かの匂いを嗅ぎつけた
彼女の無限大の好奇心は
あっさりと蛙を川に放った

さすがに驚いた蛙は
その時やっと「大丈夫だよ」が
「我慢できるよ」だったことに
気がついた

川に落とされても
残念ながら蛙は泳げてしまう
いつまでも甘ったれて
溺れたふりもしていられない

このまま流されていけば
大海に辿り着くことは知っていたし
大海のことも大抵はネットで
知り尽くしていたから
蛙は仕方なく岸にあがった

でもなんだか変だった
うまく皮膚呼吸ができなかった
いつもはケロっと忘れてしまえるのに
彼女のぬくもりはいつまでも
身体の周りにへばりついていた

しばらくして蛙は
これが「未練」というものだと知った

早く忘れてしまいたいのに
なかなか忘れられない
なんともやるせない浸透圧を
蛙は初めて思い知った

岸辺に打ち捨てられた
七月のカレンダーの上の
ふやけた約束にしがみついたまま
蛙は井戸の中にも帰らずに

いつまでもほろ苦い痛みを
抱きしめていた


自由詩 井の中の蛙 未練を知る Copyright nonya 2009-07-26 10:11:17
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