僕らと言うには薹(とう)の立った16人へ-合唱-
……とある蛙

やっと唄えるようになった16人が
唄った歌は
たくさんの人に向かって
中空を漂っては消え
漂っては消えてしまうので
なかなかたくさんの人たちには届かず、
僕たちはもう一度中空に向かって唄ってみたのです。

それを何度も繰り返し
それを何度も繰り返すうちに
僕たちは歌を唄うだけではなく、
たくさんのことを一緒に考えるようになり、
さらに違う考えを持ったまま
もう一度中空に向かって唄ってみたのです。

しかし、歌は中空を漂っては消え、
漂っては消え、それでも多くの人達は
消えたはずの歌を
消えたはずの僕達の歌を

「耳すまし」、
「耳すまして」
聴いてくれたようで

多くの人達に
聴いてもらえるようになる と
また調子づいた僕たちは
人を変え時を変え、また。中空に向かって唄うのです。

16人の歌がまた唄われる。
終いには聴く人などいなくとも
唄ってゆくことが
16人にとって歌なんだと気づき
また、
16人そろわなくとも
一人でも二人でも唄うのだ と

中空に消えてしまって
だれにもほめられることはなくなった
16人の歌を

また、唄いたい
僕たちの歌を
僕たちの気分を
僕たちの今を
 と思って
 
下を向く事なく、
顔を、そして視線を上に向けて
僕たちは、
また、中空に向かって唄い出すのです。楽しげに



自由詩 僕らと言うには薹(とう)の立った16人へ-合唱- Copyright ……とある蛙 2009-07-20 20:00:56
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