一秒前/月/そして現在
夏嶋 真子

「出かけないか。」
「どこへ?」
「過去へ。」
「タイムマシンでも発明したの?」
「まあね。真っ暗な夜があればいいんだ。」

神様は天球に宝石箱をひっくり返し、銀の砂をまいた。
六等星の星降る夜、僕らは地上にいながらにして
宇宙と闇で繋がれている。

伝達するもの、光。



過去/隣人銀河/ヒト

僕らの最初の旅は、ぺガサスの四辺形をたどって、アンドロメダ座へ。
美姫のなめらかな腹の上にかかる霞。
230万光年の彼方にある僕らの隣人銀河。

「今、僕らに届いているのは230万年前の光。」
「タイムトラベルって、そういう意味だったのね。」

圧倒的な星空を自由に漂っていた君は
本当は僕の話が煩わしかったのかもしれないけれど、話し続ける。

「230万年前、地上では最古の、つまりは最初の、ヒト科ヒト属の時代。」

「あの光の中で人類は誕生したの?」

「人類といっても、まだ猿人に近いけれどね。脳の容量だって僕らと比べると
 遥かに小さくて・・・」

僕の言葉に君が笑った。

「彼らとわたし達を分けるものは何? アンドロメダの前では、魂はみな同じよ。
 美しいお姫様に、直接聞いてみるといいわ。」

凛々と闇を渡る君の声。

そうだね、僕もたずねてみたいよ。
一つの魂の価値は一つの宇宙とつりあうのですか。
そんなこともわからないの、と、呆れた顔で笑われる気がするよ。
ちょうど今、君が笑ったみたいに。



夜空をめぐって僕らは過去の旅を続ける。
白鳥座デネブ    3200光年 ギリシアで神話と星座が結びついた頃
さそり座アンタレス 600光年  百年戦争 ジャンヌ.・ダルクが駆け抜けた時代

やがて過去は僕らの時代へ
こと座べガ      25光年  君の誕生      
わし座アルタイル   16光年  思い出はそれぞれ
 

                       

一秒前/月/そして現在


「月、旅の終着点。 現在の光だ。」
 空には下弦の月がのぼりはじめていた。
「まって、地球と月との距離は?」
「38万4000km 1.28光秒」
「あの月は、一秒前の光?」
「そういうことになるね、一秒前の過去。」


僕の答えに、
君は月を抱いたまま物思いに沈んだ。
長い沈黙。
星が2つ流れたけれど、願い事は思いつかない。
やがて、ぽつり、ぽつりと話しはじめた君の言葉は
僕を通り過ぎ月に向かう。


「一秒前は、何をしていたか考えていたの。
 一秒前は、・・・一秒前は、・・・
 一秒前のことを考えると、考え終わる前に一秒たってしまうから
 いつまでたっても、一秒前は、・・・から先に思考が進めないわ。
 月の光に永遠に囚われているみたい。」

「一秒前も今も、僕はずっと君を見ている。つまり現在完了形。
 この答えでは、お気に召さない?」

「わたしを見ている?
 38万キロ離れた月の姿が一秒前の過去なら
 5センチの距離にある、わたしとあなたも同じこと。
 知覚できないほどわずかでもズレは生じてしまう。」
「どういう意味?」
「わたしが目にしているものは、すべてが光に照らされた過去の影。
 あなたの姿も。」

今度は僕が押し黙った。
たぶんそれは正しいのだろうけれど、虚しくはないのかい?
君の誤差の分だけ、僕だって過去にズレてる、
それを「今」と呼んでいいはずだよ。
君は光とではなく、僕と向かい合っているんだから。

反論しようか、迷っていると
僕の顔を覗き込んだ君が月の唇で笑う。

今という瞬間の中に確かな存在を感じたくて
人は人に触れたくなるのかな。
 
「ねぇ、わかりやすい『現在』を思いついたの。
 目を閉じて、
 そして距離をゼロに。」



君の唇が優しく触れて
僕は目を閉じた。



君と僕の
確かな現在。






自由詩 一秒前/月/そして現在 Copyright 夏嶋 真子 2009-07-13 13:08:27
notebook Home