ビルケナウからの手紙
月乃助
……
ええ、それはもうよく聞かれるのでございますが。
本当のところ、私も理由などあったものかと
思っています。
お偉い先生方は、なにか公式でも探すように、
生き残った者達を類別しようとするのですが、
どうも、それが、真実の響きがないのは、
わたしの思い、だけではないようです。
ビルケナウ村は、第二収容所のあったところで、
アウシュビッツの方が第一でした。
三段ベッドは少しのわらで、
五十のベッドに二百人が
眠りました。
わたしは毎晩、眠りに付くとき、ただ、
パン屋のことを考えました。
夫がパン屋だったからです。
それが、どうしたと言われるかもしれませんが、
それしか、わたしが生き残った理由のようなもの
は、考えられないのです。
これが終わったら、
夫と二人の子供たちと
ワルシャワの大通りにパン屋をひらく、
それだけの夢です。
それでも、
そのパン屋のドアの色から、
カーテンの生地、パンがまの大きさに、
並べるパンの種類、
すべて事細かに、頭の中で描いていったのです。
毎夜、毎夜、一つを加えるように
時間はいやになるほどありました。
だから、わたしは、そのパン屋を今も絵に
描くこともできます。
収容所では、毛布も、食べ物も、
友情も、
薬も、僧侶の話も、ありませんでした。
ほんの小さな夢は、
決して逃避ではなかったと、思います。
それは、きっと、希望だったにちがありません。
大きな希望など描く必要も
ことさら、野望などもいらないのです。
あなたの好きなことを一つ選んで
夢を描くのです。
毎夜、
これが、あなたのお答えになっているのか、
わたしには 分かりませんが。
あの、極限状態を確かにわたしは 生き残った
の、ですから。
少しは、真実なのかもしれません。
「ビルケナウからの手紙」 月乃