書かれた-父
非在の虹

(父、父、父、と泣く声が聞こえるがあれは誰の声か)
(息子か、ならば過去からの声か)
(父か、冥界の声か)
父は失踪をくわだてた
湿地帯の臭気が漂う家族から
父の体臭が漂う家から
父が「赤の他人」と呼ぶ人々から
足をすくわれ転び
倒れたまま父は泣く
(父か、冥界の声か)
(息子か、ならば過去からの声か)
(父、父、父、と泣く声が聞こえるがあれは誰の声か)

   *

父の休日、それは家族の恐怖だ。
猫のような怠惰と犬のような愛想と
気まぐれな不機嫌が家族を縛る。
新聞を広げた父。
聞くに堪えない声で家族を呼ぶ父。
母音の発音に開けた口には歯は見えず
舌の上を探る蠅がいる。
(父、父、父、と泣く声が聞こえるがあれは誰の声か)

深夜の寝言といびきと歯軋りそれは
父の恐怖の叫びだ。
(父、父、父、と泣く声が聞こえるがあれは誰の声か)

腐敗の時間の澱のなかで
廃墟に佇む父。
しかし父そのものが廃墟なのだ。
不安定な床板と
風雨で浸食された壁と
理解不能に歪んだパイプのぶら下がる部屋。
(父、父、父、と泣く声が聞こえるがあれは誰の声か)

父の計画はあまりに浅はかだ。
その結果息子に殺される。
あるいは息子を殺し損ねる。
これは古代の劇ではない。
現在という時間のさなかで
父は死の時刻まで生きる決意が強いられた。
しかし永い時ではないだろう。
なぜなら父は湿地の瘴気におかされ危篤だ。

父は湿地に埋葬されるだろう。
あまたの卒塔婆が、父の
勃起したペニスのように屹立するだろう。
(父、父、父、と泣く声が聞こえるがあれは誰の声か)
(息子か、ならば過去からの声か)
(父か、ならば冥界の声か)


自由詩 書かれた-父 Copyright 非在の虹 2009-06-21 19:18:09
notebook Home
この文書は以下の文書グループに登録されています。
家族譜