面接(15)
虹村 凌

 眠りが浅くなり、自然と目を覚ます。腕の中に誰も居ない事に気付き、息が詰まった。俺は布団を跳ね除けて飛び起き、リビングに通じるドアを思い切り開け放った。
「どうしたの?」
 果たして、そこに女はいた。何処から出したのか、薄いシーツで身をくるみ、窓際で椅子に座ってマルボロライトを吸っていた。驚いた様な顔でこちらを見ている。俺の全身から、脂汗が吹き出していた。
「…いなくなったかと思った」
 自分でも驚く程、声が震えていた。誤魔化そうにも誤魔化せない動揺だが、俺は極力どうにかしようと、セブンスターに手を伸ばした。
「私がいなくなったと思って、飛び起きたの?」
「…うん」
「あははっ」
「な、なんだよ」
「可愛い。こっちおいで」
 女がひらひらと手を振って、俺を招いている。俺は黙って彼女の横に体育座りをした。女の手が、俺の頭をクシャクシャと撫でる。思わず、幸福だ、と呟きそうになった。彼女といた時には無かった、この激しい高揚感を伴い幸福が、今、ここにある。罪悪感がスパイスとなって、その幸福はより大きな幸福となる。女は、マルボロライトを吸い終わるまで、ずっと片手で俺を撫でていた。俺はずっと、体育座りをして、撫でてもらっていた。
「もうちょっとしたら、帰るね」
「うん」
「シャワー貸りていい?」
「うん」
 女は立ち上がって、シャワールームへと消えていった。
 
 セブンスターの先が、ボロリと崩れ落ちる。
「タオル取って」
 女のこの言葉まで、俺はずっと、何も考えておらず、ぼーっとしていた事に気付いた。俺は燃え尽きてフィルターだけになったセブンスターを灰皿につっこみ、干してあったタオルを持って脱衣所に向かった。シャワールームのドアが半分開いて、手が伸びている。俺は黙って、その手にタオルを掴ませる。
「ありがと」
 女はドアを締めて、すりガラスの向こう側で体を拭いていた。その様子を少しだけ眺めた後、俺は脱衣所を出て、リビングに戻った。何となく、やらなきゃいけない気になって、部屋を片付けて、灰皿の中のセブンスターやピース、マルボロライトを処理して、部屋中に消臭スプレーを撒く。飛び散った俺も、溢れた女も、全部綺麗に拭き取って、俺は部屋を、眺めた。たった半日で、また、この部屋に、女との思い出が色濃く染み付いた。いくら綺麗にしても、いくら掃除をしても、そのシミが消える事が無い。
 ドアを開けて、タオルをまとった女が出てきた。
「掃除したの?」
「あぁ」
「綺麗になったね」
 心臓が凍りつくような思いを、した。綺麗になったね、と言うたったそれだけの言葉が、胸の真ん中を突き抜けていったのだ。あぁ、綺麗にしたさ。俺は、何も無い平穏な幸せを、壊したくないんだ。
「あぁ」
 とだけ答える俺を、女は楽しそうに、見つめていた。俺は立て続けに煙草を吸いながら、女が支度を整えて行くのを眺めていた。女が下着を、衣服を、見につけていく様子を、ずっと眺めていた。彼女がこうするのを、眺めた記憶が無いな、と思った。気をつかっているのか、どうなのか、よくわからないけれど、彼女のそういう様子は見た事が無い。この女のそれなら、何度か見たのだけれど。女は昨日と同じ服を着て、こちらを向いた。
「似合う?」
「可愛いよ」
「…きもっ」
 失礼な話である。正直な感想を言って、この扱いである。しかし、この様なやりとりも、彼女とは取り交わした事が無い。
「知ってるよ」
 俺は短くなったセブンスターで、新しく取り出したセブンスターに火をつけた。こうでもしなきゃ、俺の間が持たない。下手をすれば、また女を求めてしまいそうだ。かろうじて抑えている理性を、昨日のように壊す訳にはいかないのだ。理性がそう叫ぶ。本能は壊せと叫ぶ。それを察したのか、女はなかなか帰ろうとしない。
「時間、大丈夫か?」
 俺は耐え切れずに、女に聞いた。
「うん、そろそろ」
「そうか」
「駅まで、送って?」
「あぁ」
 あまり、何も考えずに、反射的に答えた。
 外に出ると、女は俺の手を握ってきた。俺も、女の手を握り返す。特に会話も無いまま、駅に到着した。それまでの間、ずっと手は握ったままだった。
「じゃあね」
「おう」
「また電話するね」
「おう」
「彼女に、ちゃんと言ってね」
「…うん」
 それだけ言うと、女はさっと俺の手を離して、改札口の向こう側に消えていった。


散文(批評随筆小説等) 面接(15) Copyright 虹村 凌 2009-06-21 00:32:17
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