六月の乞食
モリマサ公

いやもーモリマサちゃんてば全開でローダウンモードで白目の現実が
スロースピードで少しずつ贅沢にすぎてくから
どちらかといえば最後までできる時間のかぎりせいぜい生きたいとか
布団の中や液晶画面の中や水たまりの中に
バイト先ででる大量の生ゴミやトイレの便座の裏に書いてあるのを忘れてるっぽい
見るにしても行動するにしても聞くにしても
ふつふつとしていたい
フレーズのようにどんどん連なりながら生きてたらおもしろいのにね
怒りというには淡すぎるようだが普通にあいかわらず熱が
7度前後をいったりきたりしているのでいいかげんにしてほしいが
てゆーか自分で望んでるのかもしれない
微熱を
どこかにもっていたいという現状をボディーで体現?みたいな。
最近詩の朗読シーンに全然いってないので焦燥を感じて来たりする
かといって朗読したい詩を脳内に探したり
それらをアウトプットして練習してみたりするような
とか素敵なトラックをみつけたり
そういうことが依然としておっくう、みたいな。
てゆーかそもそも自分のかいているものが
どこにむかうなんなのかわからなくて恥ずかしい
恥ずかしいからいいのかもしれないけれども
恥ずかしいと熱が冷める
そうベクトルという意味での目標を見失った
どうしてもフラグがたたないんですけどここって場所ですか
みんなおもしろそうな活動をどんどんしててうらやましい
なかよく元気よくそれぞれの孤独の中に
すごくおもしろい詩なんかをすらすらかいている
いや血とかにじんでんのかもしれないけど
命をけずってるのかもしんないけど
くらべて自分は今なんかその
妙にからっぽでぺらぺらしててなんにもない
というかんじばかりがそのぺらぺらの内側を埋めていて気持ち悪い
二年前くらいにもう書けなくなるなとかんじた
その二年後に今いるという状態がついにきたのかな
書けなくなるということはこんなに気持ちの悪いことなのか
なにもないということはこんなに気持ちの悪いことなのか
5月くらいからずっとなんだかいろいろひどいのでしんどい
でも今日は眼科にいってきたけどすごくよくなってるみたいでよかった
だからといって調子良くあたしはセカイを変えたりしたい!
とかすぐそういうことを考えていないのがいけないのかもしれない
ばかまるだしで情熱を測ろうとする
情熱はそれぞれの背景や角度の関係で測れないのにもかかわらず
少ないとか多いとかどうでもいいのに
セカイとの関係性の中で
あきらめることが多くなって来たせいなのか
等身大でいることも
がんばろうという気持ちも自然と形式張った物になってしまった
いわゆるこころとからだときもちがべつべつの生き物として存在してて
だから白目で時間にゆられていくことに慣れつつある
現在が破壊されていく今という瞬間のうえで
拡散していく皮膚をひきずり歩きながら
お前らこれが事実だとおもうなよ
みたいなことをブログとかにメモり
数歩先にあるコトバをローマ字入力することで
過去を確認

お前らこれが事実だとおもうなよ

と自分にいいきかせてる乞食の臭いがすれちがうガード下に充満する





 


自由詩 六月の乞食 Copyright モリマサ公 2009-06-12 15:44:47
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