「海が見える丘」:童話
月乃助

 桜が潮風の中で散り、雪のように舞っていました。
 この町にも春の終わり、そんな季節がやってきています。
「わあ、きれい」
 桜の先に、海峡の光る景色があります。
「ほんとう、いいお天気。気持ちがいいね」
 お母さんは、帽子のひさしを少しあげて、目の前にある光の水の輝きを確かめるように見つめています。その海峡の向こう側には、ごつごつとした山の白い雪が、陽をあびて海峡とおなじように光の中です。
「お山、白い」
「そうね、でわでわ、こちらもお山に行ってみますか」
 海岸線の小さな丘のそこには、今終わろうとしている黄色いラッパ水仙の花たちが丘をおおうように咲いています。そこをのぼれば、見晴台が海峡の景色を目の下に見せてくれます。
「お船、大きい。泊まってんの」
「あれは、きっとパイロットをまってるの。海峡の水先案内をしてくれる人。だから、今はきゅけい中かな」
 貨物船は、ゆったりとその黒い影を沖の方に見せていて、それは、さながら眠りに付いた大きな魚のようです。
 波が光の影をきらめかせ、数しれぬ星の瞬きをみせてくれます。その輝きは、天の川のようにまっすぐと光の帯になって岸にとどいています。
「空もきれい、雲ひとつないんだ。今日は」
「雲ひとつない」
 その空をいっしょに見上げます。そこにカモメが飛んできて、羽を動かさずに海岸の方へ流れるように飛んで行きました。
 お母さんは、じっと陽の中で黙っています。
「お母さんね、きっと、今日を忘れない。今日のこの日、この丘できみといっしょに海峡を、山を、空を、陽の光を、たくさんの水仙を、見たことを。そのすべてが、輝き、完全で、きれいだもの」
「…きれいだもの」 
 お母さんは、笑っています。とても、幸せそう。
「きみは、お母さんがすきですか?」
 へんなことをお母さんは、時々聞きます。
「すき」
 きまってるのに。ハンバーグくらいすき。たんじょう日くらいすき。
「それじゃ、お母さんの腕がなくてもすきですか?」
「腕がない。お母さんの腕がなくなるの?」
「そう、もしなくなっても、まだ、すき?」
 少し考えて見ます。それって、どんな姿かって、でも、なにか欲しかったらとりに行ってあげられる、だから、
「やっぱり、すき」
「じゃあ、足がなくても、すき?」
「足がなくても、きっと、すき」
 手をかして歩いてあげる。お母さんは、こんどはじっと海峡を見つめて聞きました。
「じゃあ、お母さんの髪がなくても、すき?」
 髪がなくなるって、そう、おじいちゃんみたいな丸いあたまになるの。う〜ん。
「それでも、すき」
 お母さんは、お母さんだもの。
「そっか。ありがとう。うれしいよ」、そう言って、お母さんは、また海峡を見つめていました。
 ひんやりとする潮風がふいてきて、それに、散った桜の花がどこかからやってきます。
 お母さんは、その桜の中で、ひどく苦しそうなせきを何度もしました。
 丸く、くじらの背のようにそれをまるめながら。



散文(批評随筆小説等) 「海が見える丘」:童話 Copyright 月乃助 2009-06-10 01:41:11
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