私は銀座の喫茶店でアルバイトをしていた事がある。
一杯1200円取るような店だがコンスタントに客
が入り、週末は近くにある劇場や、映画館帰りの客
でごった返すときもあった。こんな価格設定でも客
は来る。場所代だから。
それが面接に行ったとき店長が説明したこの店の全て
それ以上でもそれ以下でもない。平日は役人や脚本
家、最大手の広告会社の社員も来る。ベジタリアン
の老人も来る。彼が枯れた声で注文する「Aセット
ドレッシング抜き、チーズ抜き、バター抜き。」彼
の目の前で動物を殺さないことを、この店は約束し
、私はパンにレタスをはさんだ異形の精進料理を出
す瞬間がたまらなく好きだった。しかし、
大手社員の客は自分の会社の金で散々飲み放題して
いる人使いの荒い、わがまま重役が大半に思えた。
彼らの態度、行儀の悪さに嫌気がさしていた私は、
ときたま“抵抗文学的な”対応に出る事があった。
例えばこんな話がある
「トイレどこ?」
こんな質問を、彼らは人目をはばからず大きな声で投げてくる
私は攻撃をしかける。
「2階の“なかほど”にございます」
お気づきいただけただろうか、
これは朝の通勤ラッシュのアナウンスから引用したサブリミナル攻撃だ
通勤のあわただしさと息苦しさ、地下鉄の空気を表現しようと試みたのだ
彼が車通勤でも関係ない。確かに必然性も大事だが、
私が楽しければいいのだ。
しかし、これが口癖になり
宝塚帰りにこの店に寄ったおばあさんに同様のサブリミナル攻撃を
仕掛けてしまったことがある。
攻撃としての必然性からか、罪悪感からか
閉店前
おばあさんが地下鉄利用者でない事を祈った、でも
おばあさんが店を出たところですぐにタクシーを捕まえたのを見て
私は少し安堵した。
「さようなら、」
私は冷蔵庫に余った作りおきのアイスコーヒーを飲み干し
2階の禁煙席の窓から、タクシーを見送った。
白衣を着たセルシオタクシーは、
ナース帽を被ったような頭を光らせて
ビルの裏側にある空に向かってただひたすらに
銀座の大通りを進んでいった