初詣のコイン
殿岡秀秋

立ち止まると
黒子が幕をあげて
回想の舞台があらわれる

三十年も前のこと
大晦日の夜中に
明治神宮に初詣に行った
十二時を過ぎると
賽銭箱にむけて
たくさんの人が硬貨を
人々の頭越しに投げる
そのひとつがぼくの頬に当たって
痛かった

おれもぶつけたぜ
と若い男たちの声がした
わざとやったなと思って
怒りに震えたが
相手を探すこともなく
ぼくは群衆の流れにそって歩きだした

今日も浅草寺の賽銭箱の前に立ち止まると
たくさんの人がいる
背後から硬貨が
ぼくの顔をめがけて
飛んでくるのではないか
と恐れて後ろを向いた

なぜあのとき
声のする男を捜して怒らなかったのか
そうしていたら
記憶の舞台が
繰り返し上演されることはなかっただろう

できるなら
そうしていたさ
と応える声が聴こえる
薄暗い観客席に
たくさんの人影

痛い目にあって
怒らなかったぼくAがいる
それを責めている
ぼくBがいる
仕方ないな
と思うぼくA2がいる
仕方ないではすまされない
と自分に怒るB2がいる
こだわりの本当の原因はなんだろうか
と考える観察者のぼくCがいる
それを書き留めるぼくC2がいる
ささいなことにこだわっているなという
傍観者のぼくDがいる
ほかの人もそうなのだろうか
と他者を見るD2がいる

観客席の上の
舞台に照明を照らす部屋から
演出家が出す指示で
黒子は幕を上げ下げする
かれらもぼくの脳に棲む
Eであり
E2であるのか

賽銭箱の前で
傍目にはぼんやりとしているが
脳は忙しく舞台を
再演しているので
からだはどこへも行けずに
突っ立っている

大きな賽銭箱の向こうが
ぼくには
逃げることのできない
奈落の底に見えてくる


自由詩 初詣のコイン Copyright 殿岡秀秋 2009-05-19 23:02:51
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