今日、銃と特殊防護服を装備した特殊部隊が私の学校を包囲するだろう
ひとなつ
「ブタが来るらしい」
マスコミで臆病人間が囁く
コーンフレークに注ぐ冷たい牛乳
ふやける前に急いですくうシリアルメニュー
私の朝食は海難救助に似ている、とは毎日思うことだが
それでは最初に牛乳を注ぐ行為は何に比喩すべきか、といつもここで迷う
私は、朝のもろもろのあわただしさを省略し
自転車にまたがり、家を出発し・・・いや違う
「家を出て鍵を閉めると」自転車に乗りまたがり
地下道を抜ける
いつもの学校が見えてきた。
しかし学校から家は3kmもあり、私は私を通過する数々の風景の中で
なぜ地下道だけを思い起こすのか
多分それは地下道が世界の終焉を予兆しているからだ
田舎の風景というものは大概変化をなさないが
そのなかで地下道だけが私の感覚神経に
まずは地下道自身の変化を訴えてくる
吐瀉物、
生物が特定できない小便の類、
日々増える落書き
その落書きの中でも傑作は「グラフィティー」と呼ばれ上書きを許さない
エジプトの壁画のような存在になる
吐瀉物はさておき、小便にも種類があり生物学的には犬の小便のみが「マーキング」と呼ばれ
これもまた上書きを許さない存在となる
極めつけに上を通過する怪獣がのどを鳴らすような鉄道の轟音
それら全てを視界に入れてしまうと、まるでこの世に終わりが近づいているように思えた
この轟音の前では、さきほどの吐瀉物もスルーできない存在になる。
なぜならその吐瀉物が、
上で唸りをあげている親玉怪獣を媒体として媒介された
地球外の寄生虫が及ぼした被害かもしれないからだ
だとすると
これは、そいつに寄生されたヒトの吐瀉物だろうか
しかし、地下道の急な階段に、その地球外生命体に巣食われたであろう患者は転がっておらず
今日も地球は平和であった
今朝、学校に到着して最初に会った人物は
ナチュラルでポップなブタのシールを真ん中に貼りつけた大型のマスクを装着した君だった
廊下では彼のその時事的で意味ありげなシールに
好奇の視線をよせる輩は少なからずいたようだが
代表して私が聞いた
そのシール、なに?
「どうやらブタのアレが来るらしいから、防御力をあげるために貼ったんだ」
しかし周囲の先生方ならびに生徒諸君は、
イメージ上では「ブタさん病感染者用マスク」にしか見えないようで
なんとなく近寄りがたかったようだ
もし本当に彼が感染者なら今頃、銃と特殊防護服を装備した特殊部隊が
学校を包囲し、「感染者をよこせ」と催促しているに違いないのに・・・
しかし
この憂国にまで進出するとは、
「ブタにつく菌」というやつは、ブタ同様空気の読めないヤツだ、とつくづく思う。
やはり、正月のお賽銭で世界平和を願うべきだったか .....
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そういえば、もう5月か