静かに消えてゆく
木屋 亞万
いかにも甘えた声で男を叱って
夜通し喘いでいた隣の部屋、
今は男が怒っている
机を叩いたり、ガラスか何かをがしゃんと言わせたりしながら
強い語気で呟くように何かを言っている、もう三時間もずっと
昨日はあんなにしあわせそうだったのに
今日はどうもそうはいかないらしい
昨日と今日は別の男か、はたまた同じ男なのか、どちらにしても悲しい結末
きよしろうが愛してますと叫んだときに
僕らは確かにしあわせだった
男女の愛していることを確かめ合う叫び声が
振れば鳴る鐘の音みたいにリズミカルに
コンクリートのアパートを甘く包んでいた
靴についている泥はいつのまにか干からびた砂になって、
荒れていた森を思い出させる
木々の家は荒れていた、言の葉は乾いていた
毎年同じ時期に同じような言葉が並ぶその森は、
風に揺れて爽やかな青い音を響かせていたのに
今年はあのマロニエも咲いていない
風の怒号は自分の感情をぶつけるためにしか響かない
それが誰かのしあわせを壊していることを知らない
その怒りは誰にも届くことなく自分に跳ね返ることを知らない
枯れた木をへし折っても、枯れそうな木を燃やしても
もう冷たい雨が荒地に降るのみ
いくつかの嵐が来たのだと小屋の老人が言っていた
管理する費用が尽きたのだと役人が言っていた
動物が大きいものから順に消えていったのだと子どもが言った
どれも本当だけれど、適当な言い訳でしかない
森が朽ちてもまた新しい森ができるさ、と老人は笑っていたけれど、
自然の息吹はいつも苦しそうなので
これ以上、負担を増やすようなことをするなよと思う
それでも地球は同じ速度で回り続けていて
森は静かに消えていく
僕がかつていた気球は
いくつもの団や会の人がいて
脳ミソに雲が吹き込んでくるような
そんな天国に近い場所だったのだけれど
いつのまにか人が減って
鉄の鎖の中に閉ざされてしまった
僕らの心の中にそれは生きているよと言ったって
みんなバラバラ、
嵐か、金か、地震か、火事か
さよならの理由ではなくて、運命への苦情を言いたいのだ
火遊びしていた女の元に、火薬男はやってくる、
警告してやるだけマシだぞと声を荒げているけれど
静かに消えて欲しいと思う住人は多いと思う、少なくともこの部屋に二人
しあわせな喘ぎ声なら毎週末聞いても良かったけれど
喧嘩はごめんだ、火薬が爆発しそうになったら、警察に電話しよう
痛みきった歯ブラシで靴を磨く
マロニエが今年は咲かなかった
フランスで会ったあの日本人は、今どうしているのだろう
僕が今年から育てるとして
また花が見れるのはいつだろう