たぼーん、どかーん、あゆーん
キリギリ

たとえば納豆の一粒一粒がそれぞれ違った人の頭で
それらが納豆らしく糸を引いて絡まっていてあぁ糸は黒髪
絡まっていてそれが1つの人体の形をなして地雷を踏んだら
爆発して飛び散る納豆的な彼らが持っていた夢や希望
大切にしたい人の名前も少し遅れて飛び散った水曜日を
記念して今日はこどもの日。世界中の子どもの3割りは
大きくなって世の中の汚い部分を知るんだ快楽に溺れて
モラルを忘れるんだ心が痛むと言いながら他人に痛みを
与えるんだ神さま!私から日本を奪わないで!!

心の声をぐわー。詩は心の声。それを素直に飾らず。
などと良く言われるが心の声を素直に公開する人間は
気持ちが悪いし並ぶ詩が心の声だとしたらどれだけ偽善的で
薄っぺらで飾らない心が既に飾られている脳性マヒより
可哀想な先天性の病気持ちとしか言いようがない。遺伝?
真面目な話。どれだけ薄っぺらな心の持ち主でも小指じゃ
奥まで届かない〜くらいの深さはある。あるいは心は人間の
1日の活動から実用的な部分をさっぴいた残りものと言うならば
それはそれはクリネックティシューせいぜい二枚重ね程度の
厚みというか深さしかないかもしれない。定義すらはっきり
しないものを語るのは難しいね。感受性。熟れてじゅくじゅくの
感受性に飽き足らず蜜をやり外界からの反応を逐一報告する詩人が
爪先で引っ掻いて見つけた本当のもの。それは浅瀬に埋まる二枚貝。
スーパーに並ぶありふれた食材でも自分で穫ると美味しいね。
あぁそうですか。あぁそうですか。報告ご苦労さまです。
私は首から下を三枚下ろしにした魚類がだんだん機械じみて
いくのを見ている。いわば要素の結晶化だね。無駄なものが
なくなって最適化されていくノートン先生ありがとうお陰で
僕のいる地階はゴミだらけさ。

詩を書きなさい。ナウ詩人を名乗るなら。たとえそれで異性器が
遠く離れようとも貴方は詩を書くことを止めてはならない。
屈託のない笑顔がやがて歪んだ薄ら笑いに変わっても君の見る
世界は出来損ないのオリジナル例えるなら季節ごとに出すキットカットの
新製品くらいパッとしないオリジナルでもそれは世界に1つだけの花
どれだけ食物繊維を摂っても逃れられない便秘のように気がつけば
溜まる貴方の花。蜜壷かき回す制御棒で小鉢いっぱいに盛っても
ワンコソバ並みのスピードで消費されていく貴方の花。グロッケンがコン。
ビート板だけが寂しく浮かぶプール。いくら部分を積み重ねても完成しない
全体。まるで嫌がらせのような木目調のジグソーパズル。死んだら負けよ。
死んだら負けよ。ご冥福なら祈るけど。


自由詩 たぼーん、どかーん、あゆーん Copyright キリギリ 2009-05-06 13:32:20
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