「あなたにも隙があったんじゃない?」とは何か
ふるる

 フォーラムのスレッド内で、イベント時のセクハラや犯罪について話し合われていますが、どうしてそういう被害にあった人は「あなたにも隙があったんじゃない?」と問われることがあるのか疑問に思いました。直接でないにしろ、「被害者にも隙があったんだと思う」と言う人もいます。私にしても、正直に言いますと、そう思わないと言い切れません。被害者を責めたいわけでも、加害者を擁護したいわけでもないのに、被害者に対して、自動的とも言える早さでそう思ってしまうことがあるのです。私も被害に合ったことがあるので、そんな言葉は瞬時に打ち消し、最大の優しさでもってその人のことを思いやりますが。
どうしてでしょう?例えば、道でいきなり暴漢に襲われた、とか、青信号渡ろうとしたら信号無視の車に轢かれそうになった、ということを話した時は、「それは大変だったねえ」と言われることはあっても、「あなたにも隙があったんじゃない?」とは問われないのです。こちらに落ち度がないのは同じなのに、なぜ性的犯罪の被害者だけは、そう問われてしまうのでしょうか。口に出さなくても、その問いを発してしまう人は結構いるのではないでしょうか。なんで?

思うに、以下の心理が働いていると思われます。

1、とりあえず面倒を避けたい(どうすればいいのか分からない)
2、何の罪もない人が悲しい目にあってしまうような、酷い現実を受け入れたくない
3、普段自分が考えているエロいことを「犯罪」というはっきりした形にして欲しくない(エロいことと、禁を破るとか隠蔽する、というのには密接な関係があるから)

 いずれにせよ、「あなたにも隙があったんじゃない?」というのは、「それがあったことをなかったことにしたい」とか「同意の上であったと言わせたい」という聞き手側の強い欲望の現れなのではないでしょうか。

そういう欲望から発せられたこの質問のよくない所は、被害者側に「その犯罪がなかった」「同意の上であった」と答えることを暗に期待する所です。
つまり、

Q「隙があったんじゃない?」 →A「隙がありました、私が誘いました」
という答えを。

他に、類似した質問として以下のようなのがあります。

Q「どうして抵抗しなかったの?」 →A「同意の上だったから抵抗しなかったのです」

Q「本気で抵抗すれば防げたのでは?」 →A「同意の上だったから本気で抵抗しなかったのです」

 全てAの答えを引き出すための、そういう犯罪はなかったという答えを聞きたいがための、質問です。(もう一度言いますが、交通事故に合った人や、暴漢に襲われた人には同じ質問はしないはずです。「本気で避ければ車を避けれたはずだ」とか・・・。突然のことであり、あまりにも力の差が大きいことでもあり、被害者に落ち度がないという点では同じなのにもかかわらず、性的犯罪の被害者に対してはそういう質問をあえてしてしまう、ということに何かしらの意図があるのです。)
なのに、被害者は、その責めにも似た質問に「できなかった」としか答えられず、無力感に打ちのめされ、かわいそうに、自分が悪いんだ、と半ば思い込み、傷ついてしまうのです。
 その言葉、その問いかけは、傷つけたいとか責めたいとかの意図が全くなくても被害者を傷つけるだけなので、告白を聞く側になった時、またはそういう犯罪の被害者のことを考える時には、問題に立ち向かう勇気を持って、その事実は犯罪として確かにあるのだという現実を受け入れ、自分のエロい妄想が責められているわけではないと認識し、「隙があったんじゃない?」と言わないようにしましょう。





散文(批評随筆小説等) 「あなたにも隙があったんじゃない?」とは何か Copyright ふるる 2009-04-08 17:12:38
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