蕎麦屋の蕎麦はそれでも君を待っている
ふくだわらまんじゅうろう

     蕎麦屋の蕎麦はそれでも君を待っている



君がこの
罪の巷を見放して久しく
夢のまた夢のまた夢のまた
そのまた向こうの向丘遊園地に観覧車
そのクランクであんなにも素敵に引き伸ばされた麺の
麺の断面の側面の
いまだ我らの知り得ぬ一面の
面倒にもほどがあるほどの保土ヶ谷の
高速降りて海へ向かう車の助手席の
ああ、もう一度あの青春へ、青春へ、青春へ!
だけど君がこの罪の巷で見つけたものと云えば
それはただ単なる悪戯に過ぎなかったということ

そして蕎麦屋は今日もまた
君のために蕎麦を打っているというのだ!

それを知っていながら君が傾けることのできる盃と言ったら!
それでは君のために屠られた馬たちも浮かばれようがないというものじゃあないか!
だけど私は知っているのだ。君が
どんなにあの爪楊枝を愛していたかということを!
中庭の見渡せるあの席を!
冬の火鉢の炭の匂いを!
蕎麦茶の出涸らしの出涸らしの出涸らしの!
その恋みたいな惨めな結末を!
太陽が降り注いで降り注いで降り注いで!
あの蕎麦畑に辿り着くまでの長いようで短い旅の思い出を!
石臼に擂り潰される労働者たちの怒りと悲鳴を!
ああ、もう一度あの青春へ、青春へ、青春へ!
それにしても君がこの罪の巷で見つけたものと云えば!
なんと後ろ暗い交接の繰り返しだっただろう!

だからこそ蕎麦屋は今日もまた
君のために蕎麦を打っているというのだ

だけど君は見失ってはいけないよ
見失ってはいけないのだよ
ただ分厚いだけのステーキで作り上げた肉体と精神と
脂汗と腋臭と香水と
一夫一婦制という奴隷制度の巻き返しと
離婚という名の調節弁からなるこの文化を受け入れざるを得ない
植民地に生きる我らが魂の本音を
君は見失ってはいけないのだよ
だからといって鰻屋で
鰻屋の二階で
盃を傾けて
ときには女の尻など撫でて
すべて忘れたふりなどをして
「愛国心とはけして
他国を憎む心などではない」などと心に
心に叫んで
血を吐いて
それでも見つからない明日は見つからないのだよ
そうだよ。君は
それを知っているのだよ
だからこそ、そうして、つらいのだよ
つらくて、つらくて
つらいのだよ
だけど同情はいけないよ
私も生き返ろうとしているのだよ
蕎麦屋が今日も蕎麦を打つ
豆腐屋は夜遅くから仕込みをしている
君がどうしてもというのなら
座敷のひとつも用意するよ
だから忘れてはいけないのだよ
あの白い花たちは
誰のために微笑んでいるわけではないということを

蕎麦屋の蕎麦は
それでも君を待っているのか






自由詩 蕎麦屋の蕎麦はそれでも君を待っている Copyright ふくだわらまんじゅうろう 2009-04-04 13:40:12
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