私の目が赤い理由
光井 新


 私は毎晩パンちゃんを抱いて寝ていました。パンちゃんが居ないと寂しくて眠れませんでした。
 パンちゃんというのは、私が大切にしていたジャイアントパンダのぬいぐるみです。私が幼稚園の頃、ママから貰った宝物です。
 可愛くて柔らかくて、私はパンちゃんが大好きでした。

 或る日パパが「本物のパンダを見に行こう」と言って、私とパパとママの三人で動物園へ行く事に成りました。
 私は今まで本物のパンダを見た事が無かったので、本物のパンダを見るのがとても楽しみでした。きっと本物のパンダも、パンちゃんみたいに可愛いらしい生き物なのだと勝手に想像していました。
 しかし実際に本物のパンダを見た時、私はとても吃驚しました。パンダの眼は意外と鋭かったのです。パンダと眼が合った時、私は怖くて泣いてしまいました。
 泣きながら私は、パンダの眼が鋭いのはきっと、白と黒とが闘っているからに違いないと思いました。あれは修羅の眼なのだ、あれは修羅なのだ、と思いました。

 その日の夜、私はなかなか寝付けませんでした。昼間見たパンダの眼を思い出してしまうのです。今迄と変わらない筈のパンちゃんの眼も、心成しか鋭く見えてしまうのです。
 眠れない私は、カッターナイフを机の引き出しから取り出し、パンちゃんの目玉を抉り取りました。
 目玉の無いパンちゃんの顔は、前よりも更に怖くなってしまいました。私は窓を開けて、パンちゃんを外に投げ捨てました。そして昼間見たパンダの事もパンちゃんの事ももう忘れて、今度こそ眠ろうとしました。
 しかし寂しくなった腕がパンちゃんの事を思い出させ、どうしても眠れません。布団の中で私は、大切にしていたパンちゃんに何て酷い事をしてしまったのだろう、と後悔をしていました。

 私はお庭に出て、パンちゃんを探す事にしました。
 パパもママも寝静まった真夜中、一人で外に出るのは初めてだったので少し不安でした。私はドキドキしながら音を立てない様慎重に玄関のドアを開けると、何という事でしょう、ちょうど雲が流れて満月が顔を出しました。そして月明かりに照らされた枝垂れ桜が優しく微笑んでいる様でした。何だか其れは恋に似ている気がしました、まだ子供の私には良く解らない筈なのに、そんな風に思いました。あまりにも綺麗だったので、ついさっき迄怖かった夜が私は大好きに成りました。
 蒼い闇の中、懐中電灯など持っていない私は、月明かりを頼りにパンちゃんを探しました。だけどお庭の何処を探しても、結局パンちゃんは出てきませんでした。
 疲れた私は、枝垂れ桜の根元に座って一休みする事にしました。此処から見る景色にはピンクのモザイクが掛かり、見慣れたお家もいつもとは少し違って見えました。面白く成って色々な場所を見回していたら、お隣の佐藤さんのお家のお庭にパンちゃんが落ちているのを見付けました。

 どうしましょう、お隣の佐藤さんのお家のお庭にはポチが居るのです。ポチはとても凶暴なドーベルマンで、空手チャンピオンだったパパの左手の小指が無いのは、ポチに喰いちぎられたからだという噂も有る程です。
 幸いポチはパンちゃんに興味を示さず、自分の小屋で寝ています。しかしもしも私が佐藤さんのお家のお庭に入ったら、ポチは私に噛みついて来る事でしょう。
 どうにかしてパンちゃんを救出する事ができないか、私は考えていました。そして名案を思い突きました。
 私はこっそりまた家の中に入り、キッチンの冷蔵庫から生肉を取り出しました。これで準備完了です。
 再び外に出た私は、佐藤さんのお家の門を開けました。するとポチが勢い良く飛び出して来ました、その瞬間私は手に持っていた生肉を思い切り遠くへ投げました、案の定ポチは生肉を追い掛けて行きました。
 そして私は佐藤さんのお家のお庭に入り、見事パンちゃんを救出したのです。後は生肉を食べ終えたポチが戻って来たら、佐藤さんのお家の門を閉めれば良いだけです。
 しかし何時まで経ってもポチは戻って来ませんでした。もうすぐ朝に成ってしまいます。

 心配に成った私は、近所を探す事にしました。しばらく歩いて川の所まで行くと、橋の下でポチを見つけました。
 ホームレスのお爺さんを食べていました。

 私はお家に帰り、全て忘れて寝てしまおうと思いました。しかし眠ろうとしても、眼に焼き付いたあの光景が鮮明に浮かび上がり、眠る事ができませんでした。
 気が付くと私は、カッターナイフの刃先を目の前に持って来ていました。

嘘ぴょーん


散文(批評随筆小説等) 私の目が赤い理由 Copyright 光井 新 2009-04-01 22:46:43
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