超真理男兄弟[場面1−3]
国産和風モモンガ

 校庭にあるバス停。しまった。韻を踏んでしまった。さっきから余計なものまで踏んでいる。タイムロスだ。燃やすか避けたほうが速い。けど校庭にバス停がある学校は確かに存在する。サッカーゴールの向かい合ってる内側に二〇〇メートル・トラックが地上絵みたいに描かれてて、休み時間になると子ども達が踏み消しに来る。また踏んでしまった。まだひとりしか減ってないのに。つまみ食いされたバゥムクーヘンな形になってる二〇〇メートル・トラックは校舎の屋上から眺められる。屋上は太陽に近いせいか地面から遠いせいか少し下より暖かい。立ち入り禁止になるのも当然だが、そんなつまらない規則をブチ破って屋上の網フェンス越しに校庭を眺めると、トラックの中央、ちょうど、一六〇〇メートルリレーのバトンゾーンの中心あたりにバス停はある。トラックが出来た後にどこからか持ってこられたものなんだけど、今ではトラックよりも先にそこにあったみたいに陸上部の下級生が利用している。虫食いになったトラックを、箱に引き手と車輪をつけてお尻に穴をあけてそこから白墨が出るようにした装置(名前が分からない)で復活させるためだ。箱に引き手と車輪(中略)装置を二台背中合わせにして、二人でちょうどバス停のところから、相手と鏡になるように線を引くときれいなトラックが描ける。時折二〇〇メートルではなくなる。上級生の中距離走のタイムがドーピング的に向上する。陸上部の顧問の先生が記録会で真っ青になる。
 じっと眺めていると不意にそこだけ空間が欠落しているように感じることがある。よく晴れた夏の日の午後なんかに屋上に行って(自殺行為だ熱中症を知らないのか?)網フェンス越しにじぃっと校庭を眺めていると、ぎらぎらの太陽の光が真っ白な約一八〇メートル強トラックで反射してそこだけ白く燃え上がっているように見える。小さく燻る白い炎を熱くなって来た頭で(ほら言わんこっちゃない)眺めているとある時トラックが消える。白い炎で灰まで燃やし尽くされてしまって後には何も残っていない、かのような錯覚にとらわれてそしてまばたきをすると、約一八〇メートル強トラックにもう一度再会出来る。

 どこいってたの?
 友達ん家。

 むかで足の猫が走ってくるにしても、菊次郎が目の見えない人のふりをしていたとしても、何かを待つという謙虚な姿勢を決して忘れない限りそこはバス停であり続ける。もしバスが来なくってもだ。現代詩みたいに印字より白紙のほうが多い田舎のバス停の時刻表と腕時計をちらちら見ながらごくたまに往来を通り抜ける車のエンジン音と蝉の鳴き声を聞いているとバスで移動することよりもバスに乗ることのほうが目的みたいになって来る。バスに乗った瞬間、天国は冷房が効いてるなぁとか、思ったり。
 これが八月下旬の夜中だとまた違う。Tシャツにジーンズで上に一枚羽織って眠気を押し殺しながら携帯電話を眺めている人の顔がぼんやりと光る。現代詩的時刻表はもう読めないからこっちも携帯電話を取り出す。早くも虫の音が聴こえて来て草を撫でる風が鳴って、真っ暗な中で光る二つの顔はニヤけたりムッとしたりボーッとしたりする。時折自動車のヘッドライトが通って一瞬オセロ色の人体模型みたいな二人。月の満ち欠けを肉体で再現。
 けどこれは街なかのバス停で待っていた場合であって、夏休みの終わりに校庭のバス停で、むーんと鳴く蚊を手で牽制しながら待つのさ。校舎の窓は夜闇以上に真っ暗でわさわさ揺れる名札のかかった樹。ひんやりした遊具を独り占めして鉄棒で逆上がりのブランコはすべり台。消滅した二〇〇メートル・トラックを見下ろすサッカーゴール。朝礼台に座って膝から下を自由にする。深夜徘徊の校庭のバス停。来ない迎え。存在否定の待ち合わせ。無国旗君が代熱唱のポール。大きく振りかぶって投げたピッチャー第一球は藪の中。藪は闇の中。Head light of the bus or something.眩しくて眩しくて眩しくて。
 外の世界に出た時の眩しさってばこれそっくりで。


自由詩 超真理男兄弟[場面1−3] Copyright 国産和風モモンガ 2009-03-31 18:44:29
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