キリン先生
小川 葉

 
キリンのように
長い首だったので
保育園の先生を
キリン先生と呼んでいた

心の中でも同じように
お友だちはみな
そう思っていたらしくて

ある日お友だちの誰かが
キリン先生
と、口に出してしまった

キリン先生は
遠い故郷のサバンナを
思い出すかのように
長い首の上の
小さな顔を
子供の小さな背丈の
顔の高さまで下ろして

はじめて間近に見た
キリン先生の目は
透き通って潤んでいた
高すぎて
今まで知らなかったけど
キリン先生は
いつもそんなふうに
泣いているような目で
僕らを楽しませたり
叱ったりしていたのだ

キリン先生が
三月でたいしょくします

園長先生が
広場で発表すると
たいしょく
という言葉の意味も知らないのに
かなしいことのような気がして
僕らはしくしく泣いていた

その言葉の意味が
今はとてもよくわかるのだけれど
死に別れるわけでもないのに
同じ日々を
同じ場所で暮らせないことが
生と死の違いにとてもよく似ていた

翌年の春
キリン先生は首の長い
小さなキリンの赤ちゃんを抱っこして
保育園を訪れたけれど
僕は小学生になっていたので
あの日々のような日は
二度と訪れなかった

ある日スーパーで
一度だけキリン先生を見かけた
一度だけ僕の顔を見て
覚えてくれていたのか
あの頃と変わらない
長い首を
小さく下げてくれた

あの日見えていた
サバンナの景色とか
キリンに生まれてしまったことによる
若いキリンの弱さはなかった

ただ一人の女として生きていた
あるがままの人の姿が
大人になってしまった
今の僕には見えていた
 


自由詩 キリン先生 Copyright 小川 葉 2009-03-20 03:30:14
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