恋花(コイバナ)
渡 ひろこ

すっかり生ぬるくなったビールの向こうに
睡蓮の花が物憂げな顔で座っている
白い陶器の肌が青ざめて
透き通った光沢を放っている

その清楚な肌に触れることを許した
借金まみれの男の手が離れそうだという
他の花の元へ行くのが怖くて
眠れなかったと
伏し目がちな瞳で語る


隣には抑えようとしても
ほころんでしまうフレンチローズが
零れそうな蜜の香りを漂わせている

左の薬指に魔除けのリングをはめた上司との
ヨリが戻ったという
この間まで萎れていた花弁が艶めき
リングの指と戯れて
一晩中眠らなかったと
潤んだ目で笑っている



カノジョたちは棘草いらくさを握っている

棘が柔らかな皮膚に食い込もうとも



居酒屋のテーブルに
藍色とマゼンダのため息が
マーブル状に注がれる


それぞれ噛まれた痕を曝しながら
躊躇なく発色し続け
やがてテーブルからあふれて
わたしの手の甲にポタポタ落ち出した


あまりにも頑なに握りしめる棘草

もうすでに棘を刺して血を滲ませている


「痛いでしょう?」
そっと手のひらに包んで
華奢な指を一本一本ほどいてあげようとしても
ますます力をこめて離さない
カノジョたちのため息と想いが流れ出て
辺り一面にどんどん浸水していく



上がっていく水位


踝、胸、ああ、もう首まで浸かって

息、が、できない



居酒屋の喧騒の中
このテーブルだけひずんだ空間
反比例する眠れぬ夜を同時に見せられ
めしいた執着にむせかえる
カノジョたちはそれを
凄まじい勢いで消費していく



むしられた淡い花びらが
底のない闇に
沈んで
沈んで
沈んでいく



帰りの電車の中
カノジョたちの色で
ビッショリ濡れた身体が重い

車窓を流れる街の明かりに導かれて

囲いのある浮島へと
家路を急いだ





自由詩 恋花(コイバナ) Copyright 渡 ひろこ 2009-03-13 21:02:36
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