とおい水
小川 葉

 
たかのり君
と呼んでしまった
生姜焼き定食のことを

もちろん
たかのり君が
生姜焼き定食であるはずはなく
けれども
一度そう呼んでしまえば
そのようにも思えてきて
こんがりと焼きあがった生姜焼きは
あの夏休みの良く焼けた
たかのり君の肌の色のような気がして
艶のある白いごはんは
真っ黒いたかのり君の口元に光る
歯のように見えて
漬物はいつも柴漬けに決まっていて
ごはんならわかるけれども
味噌汁だけがおかわり自由である
そういうへんなところも
たかのり君そっくりだった

お冷やお待たせしました
わたしがたかのり君を
ほとんど食べ終えそうなところに
お給仕のおばさんが
一杯の水を運んできた

そう言えば
たかのり君が焼かれる時も
かなしみのあまり
水をあげることもできないほど
たかのり君の母さんは
泣いてばかりだった

けど、たしか
あの事故で
母さんも亡くなったはずだ
どうしてたかのり君の葬儀に
彼の母さんを見ていた
記憶があるのだろう

わたしは生姜焼き定食を食べ終え
コップの中で
一杯の水になってしまった
たかのり君の母さんを飲み干した

七百五十円を支払った
あの母子が
この世界にいないことだけが
確かなことだった
 


自由詩 とおい水 Copyright 小川 葉 2009-03-03 02:29:21
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