ある渓流の淵にて
北村 守通

困ったことだった
一張羅をまとった毛ばりが
根掛かって外れない
偶然授かった
二本目の無い
大事な
大事な
毛ばりだったので
そんなに深くはなかったので
暑かったので
誰も見ていなかったので
潜って取りに行った

さかな達のいない世界で
一人ぼっちの毛ばり
泣いていた
泣きじゃくっていたから
頭をなで
左手の中に優しく包んで
一緒に帰ることにした

水面に
幾つか拡がる
輪っかがあった
何かしらの
水生昆虫たちの
ハッチだったが
それを邪魔するものは居なかった
それは
天と天との境界だった

その狭間に達しようとしたとき
私は自由を失った
右足に
違和感を感じた
そこに
女の手があった

女は怖い顔をしていた
当然
私が悪かったのだ
しかし
何も足を掴むことはない
それはそれで
失礼なことに思えてむっとしたので
私は右手を差し出した
左手は
差し出せなかった
呼び止めたければ
正面切って
手を握り合えばよいのだ
足を取られるのは
不自由だった
幸い
彼女はわかってくれて
私の差し伸べた
右手を取った
その表情は
やわらかかった

  瞬間
  とてつもない衝撃と共に
  青い世界が
  真っ赤に変わった
  
リトマス試験紙の反応ならば
それは酸性を表すことだったろうが
これも酸性を表すことなのかどうかは
判断できなかった
ただ
彼女は
大事そうに
私の右手をなでながら
己の住処へと帰ってゆくところだった
多分
彼女は
やっと満足することができたと思うので
それ以上を望むようには思えなかったので
私は静かに満足し
赤い水の中
左手の中の毛ばりと共に
しばしの眠りについた  


自由詩 ある渓流の淵にて Copyright 北村 守通 2009-02-16 01:03:53
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