新地のひと
恋月 ぴの

死ぬ気になれば何でもできる…

それは瀬戸際に立たされたことの無い人間の言葉



新地に棲んでいた頃の母を良く知っているといって
狐目の男が自宅を訪れることがあった

その度に母はとってつけたような用事を私に言いつけると
狐目とふたり家の奥へと消えた

暫くして家から出てきた狐目は決まって機嫌よくて
鼻歌交じりに私の頭を撫でては肩車しようとした

おまえのかあちゃん昼間からおめこしてるんか

ガキ大将格の男の子が囃しながら私のパンツを脱がそうとした

蝉時雨鳴り止まぬ昼下がりにおめこ
それは母娘ふたりの命を繋ぐ生業のようであり
独り遊びに興じる私に向って母は狐目をお父さんと呼ぶよう促した

「お父さん」

狐目は何人目のお父さんになるのだろう
お父さんと呼ばれた男達が母と暮した根岸の借家に出入りした

幼い娘をかかえた女が生きてゆく
どんな時代であっても容易くないのは察するに余りある
それだからこそ
情交と引換えに日々の糧を得ようとした母を否定するつもりは無い
ましてや今の私は擬似性交を生業として生きているのだから

小太りな男の毛深い陰毛を掻き分け陰嚢を口に含み
こりこりとした睾丸のひとつ吸いたてれば
赤黒い亀頭は泡沫の夢見に甘酸っぱい歓喜の声をあげた

このニ、三日
あの臙脂色のストールを見かけない
もしかして流行の風邪でもひいたのだろうか
各駅停車の車窓に映るのは誰もいない待合室の曖昧さと
書き残そうとして果たせなかった涙と苦悶の記憶




自由詩 新地のひと Copyright 恋月 ぴの 2009-02-08 21:15:53
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