物の怪くずれ
瀬戸内海
俺が恋したあの人は
町の外れに住んでいて
暗い部屋から俺を呼ぶ
「坊や、ちょいと町までおつかいに行ってはくれないかい?」
「悪いけどさ……俺、坊やなんて呼ばれる年じゃねぇぜ」
闇から伸びた手は細く
まるで螺鈿の白のよう
俺は銭を受け取って
おつかい済ませに町まで走る
最初におつかいを頼まれたときは「自分で行けばいいじゃん」と言った。あの人は「人前に姿を見せることはできないんだよ」と言った。だから、俺は仕方なく町までおつかいに行った。頼まれた物は、蝗、桜の枝、染粉、香木。何に使うのやら……。
それからというもの、何度もおつかいを頼まれるようになった。何度か「一緒に行こう」と誘ったが、あの人はやはり「人前に姿を見せることはできない」と言った。
町で見つけた簪を
土産に買ってまた走る
闇を好むあの人の
まだ見ぬ顔は笑顔かな
がらりと戸を開ける。けれども、部屋の中にはお天道様の光も届かない。薄暗い闇の中、ぼんやりとあの人の姿が見える。頼まれたものを床に置き、俺はあの人に向かって言った。
「今日は、あんたに土産があるんだ」
町で見つけた簪を
俺の恋したあの人の
愛しい髪に挿してやろう
「寄るな」と言われ「来るな」と言われ
俺はそれでも螺鈿を掴む
そうっと触れた肌には鱗
口は耳まで大きく裂けて
ちろりちろりと赤い舌
瞳は黄金に輝いて
ぱちくり瞬き繰り返す
静かに髪に簪挿して
白い体を抱きしめる
「似合っているよ」「綺麗だよ」
落ちる雫を肩で受け
俺は何度も繰り返す
俺の愛しい恋人は
決して人ではないけれど
誰より人を一途に慕う
優しい優しい物の怪くずれ