正当化された差別
エルメス
「誰とでも分け隔てなく接し、皆に優しくして、皆で仲良くしましょう」
……それが、小さい頃の正義だった。
嘘であるなどと疑うことすら知らなかった、あの頃の。
先生の言葉は絶対的に正しい。否、大人が間違ったことを言うわけがない、と妙に純朴に信じていた。
……だが、それは嘘だった。分け隔てなく接するなんて、差別しないのと等しい。
差別しないということは、全ての対象を等しく見ることであり、そんなことは不可能だ。
差別はいけないこと。現在の教育。これは間違いだ。
人間が人間を差別することによって、友達ができる。尊敬する人ができる。苛めが発生する。
そういうことだ。
誰にでも優しくするなんて、機械にだってできる。
人間はそんな単純なメカニズムのもとに動いている生命体ではない。
差別しない、ということは、人間らしさを失う、ということを意味する。
目の前にいる人間の人間性を感じることのできない、ロボットと同じだ。
差別とは、人間が人間である限り決して消えないものであり、人間関係とは差別の塊である。