魚の声
ブライアン

 横浜からJR横浜線で北へ5駅。閑静な住宅地に成長しつつある鴨居駅周辺には、鶴見川が流れている。インターネットで調べてみると、鶴見川の源泉は東京の町田市にあるという。全長42.5キロ、流域面積235k?、支川数は10。神奈川県横浜市鶴見区の河口から、東京湾に注ぐ。

 鴨居駅から数メートル歩くと、鶴見川を跨ぐ鴨池人道橋がある。そのすぐ上流には鴨池大橋の大きなアーチが見える。夕暮れ、橙色の穏やかな太陽が鴨池大橋のアーチを越しに輝く。鶴見川には鴨池大橋の影がくっきりと映る。夕焼けのコントラストが、鶴見川の波に揺れている。上流から風が吹く。高校生の笑う声がする。手を繋いだ親子。奥さん、と呼ばれる女性たち。夕暮れの景色は穏やかだった。鶴見川の湿気を含んだ空気は親しみを帯びていた。

 夕日を反射させる水面を見つめていた。川の流れが波を生み出し、暖色の光は揺れているようだった。魚は鳴くことがあるんだ、と小学時代の同級生は言った。完全に日が落ちる直前の、夕焼けが一番赤い頃に魚は鳴くのだ、と。
 緩やかな沼のような河で、フナ釣りをしている時だった。同級生は思い出したようにそう言った。そう言いながら、証拠を差し出すようにして指を口元に持っていき、静かにしろ、というジェスチャーをした。物音は立てなかった。遠くで車の音が聞こえた。カラスの鳴き声。時折、思い出したように鳴く雉の声。それから、何分も黙ったままだった。蛙の声や虫の音も聞こえた。何か言おうとすると、同級生は睨んだ。仕方なく釣竿に意識が集中する。ジッと見つめていると、水面に浮かぶ浮きがグッと沈む。釣竿を強く引き上げる。針には小ぶりなフナが一匹かかっていた。急いでフナを引き寄せると、口から針を引き抜いた。得意げに同級生の顔を見る。すると彼は不機嫌そうな顔をして、魚の鳴き声、もう聞けやしないよ、と言った。もう太陽は沈んだんだから、と。彼は急いで釣竿を片付けようと催促した。最後にかかったフナをビニールの袋に入れる。悲しかった。暗くなりつつある世界が、まるで同級生との距離を引き裂いていくようだった。光がなければ、同級生の顔さえ失われてしまうのではないか、と恐れた。身の丈ほどある草を押し分けて自転車の置いた場所まで無言で歩いた。何か言おうとしたが、何を言っても無駄なように感じた。その声は魚の声ではないのだから。それでも、謝ろうと肩に手をかける。振り返る同級生の顔は不思議そうだった。どうしたの、といつもと変わらない声で言った。魚は、本当に鳴くの、と尋ねた。魚なんか鳴かないよ、と同級生は答えた。自転車に跨って、砂利道を走っていた。自転車の光が、漕ぐスピードによって強まったり弱まったりしている。遠くから聞こえてきた車の音が見える。大きな橋には車のテールランプが連なっていた。

 鶴見川の水面に一匹の鯉が跳ねる。沈みつつある太陽の光が鯉の鱗に反射する。老人が一人、堤防の上で立ち止まっていた。彼は夕日を見に来たわけではない。夕日を見る振りをして、魚が鳴くのを聞きに来たのだろう。毎日老人は日が沈む時間帯に、魚の鳴く声を聞きにやってくるのだ。魚の声に耳を澄ます。微動だりせずに。
 鴨池大橋の向こうに太陽が沈む。完全に日が沈むと、老人は家に向かって歩き始める。魚なんか鳴かない、と老人は思うだろう。それでも次の日にはまた、魚の声を聞きに来るだろう。

 魚なんか鳴かない、と言った同級生の顔が浮かんだ。いまだ、魚の鳴く声を聞いたことは確かにない。


散文(批評随筆小説等) 魚の声 Copyright ブライアン 2009-01-11 04:17:20
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