すり身の洗礼
シリ・カゲル

魚のすり身は、あじつみれと名付けられたときから、他の魚のすり身とは一線を画した。
味しみちくわぶと名付けられた魚のすり身は、もはやただのちくわぶとは違うのだった。
もともと静岡で食されていた魚のすり身は、黒はんぺんと名付けられて全国へ旅立った。
餅巾着と名付けられた餅巾着は、そもそも魚のすり身ではない。

あじつみれの両肩には、つみれ界の今後を占うに十分なほどの責任がのしかかっている。
味しみちくわぶは、お気楽なちくわぶよりも常に結果が求められる。
黒はんぺんは新たな全国区の登場に日々恐々としている。
餅巾着はそもそも魚のすり身ではない。
あれはお米と大豆だ。

地球が太陽の周りを一度回って。

あじつみれは苦境に立たされたつみれ界を救うことができただろうか、
味しみちくわぶは、ちくわぶとは異なる自分をきちんとアピールできたか、
黒はんぺんは青はんぺんやコーラルピンクはんぺんに押されてないか、
餅巾着はいつのまにか魚のすり身と化してないか、

歳末。
コンビニで・買った・プラスチックカップ1杯の・70円均一の・魚のすり身たちが
名もなき僕の胃袋の、深いところに問いかける顛末。


自由詩 すり身の洗礼 Copyright シリ・カゲル 2008-12-30 16:56:20
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