この表現があってる
がん

 僕はサバンナの中心で死にたいと思った。それはサバンナの中心ならば、よく分からない生き物にモサモサと食べてもらえると考えた末、至った結論だ。
 けれど、わざわざ、そんなことをしなくても良いんだということに、気がついた。僕は、もう、いろんな人に蝕まれてるような気がする。僕を蝕んでるのは、社会だとかいう枠組みだったり、人間だとかいう足枷だったり、あなたの澄んだ心だったりするんじゃないかと思ってみたりもするけれど、結局分からないままでいる。

 サバンナの中心にいる夢を見た。そこで僕は、携帯電話を持ってあなたに電話する。他愛のない内容の電話。「昨日は何を食べたの?」だとか、「最近困ったことはある?」だとか、僕が一方的にあなたに質問をする。あなたは、淡々と答える。それで満足だったりする。

 「人と人とが手を取り合うなんてことは、当たり前のことだ」とあなたは言うけれど、僕にはそうは思えない。僕が差し出した手を、あなたが握ってくれるなんて思えない。きっと、人と人とは手を取り合うのだろうけれど、人と人でないものは手を取り合わないのだろうと、思う。だから、もしかしたら、あなたの中で僕は人ですらないのかもしれない。多分、それで正解。
 あなたの心は澄んでいる。それは残酷なことではないけれど、やっぱり少し悲しいことだと思う。

 僕は、もう、立ち直れないほどにいろんな人に蝕まれている。よく分からないけれど、この表現がいちばん合ってるような気がしないでもない。


自由詩 この表現があってる Copyright がん 2008-12-29 23:59:27
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