真っ赤なブルーに燃える太陽だから
aidanico

美空に広がる燃える様な青、群青とひとはいう群青と人は呼ぶ群青は自分の名前がそれだとは知らないが確かに群がって青くなるビョークが叫ぶ、白い壁を青いペンキで塗るようにベティ・ブルーは笑うそのうちガーシュウィンが気の利いたラプソディーをかなでたらジョニが深海のような詩を書いた「風歌に耳を澄ますんだぜ」「聞こえなかったら?」「こっちで口ずさむのさ」女の子に生まれど似合うのはこの色、って気付いたら四人組のスーツの男があっちでアカペラを歌っているんだ。

/サマータイム/
アウトサイドのフリーキックで天井に大きく弧を描いたボールはゴール・ポストに入るより先にスケート・リンクに舞い降りて蝶のようなステップでしなやかなスピンに入るのだったがその回転が余りにも速いのでアメリカやらオーストラリアの先住民がよくやる火種の原理でよく燃えたよ。灼熱のような炎は悲しみに入り込み不遇な女の肌を皮の剥けるまで焦がした一方で脂肪の塊と呼ばれたふくよかな女の手元に入り吹き消されそうとする所を矢張り青いドレスを着た白髪の少女に口付けされ自由になるのだった、夏の日。

/髭のドン・ファン/
ソーセージのような肢体を投げ出して呪った女の数をトランプで数えている。午前四時のベルまで十三分二十四秒、の前に男はクラクションで葉巻を落として絨毯に直径二センチばかりの焦げ目を作ることになる

/ホオヅキの花/
オホーツクの氷山の険しい鮭取りは「今日は日がよくない」と繰り返していたそれというのも天候もあまり良い状態とはいえなかったがそれより何より男がうちで泣いている自分のことを思い出したからである。男は少年になり青年になり赤ん坊になろうとしていたが、一度だけポットの湯を出して誤って指にかけ、「あつい」と言った「あつい」は「あい」になり「あい」は「あ」になった。赤ん坊は悟った(一番最初のそのつぎに、おぼえるのは「あい」であるのだ)、鮭取りは皸で枯葉のようになった手をじっと見詰めていた。

美空に広がるのは燃える様な青、群青とひとはいう群青と人は呼ぶ群青は自分の名前がそれだとは知らないが群青であるための、日記や手帳の表紙のような凡庸な群青ではありたくないと常に思っている。そればかりか群青は夕焼けの中に溶け込んでマッチの日のような暖かさを手に入れたいとさえ考えている、夜が暗いのは朝に白い光が差すことを、群青は知っているかと橙に点る街灯は思う。


自由詩 真っ赤なブルーに燃える太陽だから Copyright aidanico 2008-12-16 23:15:23
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