いつかおまえの胸もとに流れた歌のことを思い出す
ホロウ・シカエルボク






いつかおまえの胸もとに流れた歌のことを思い出す、たとえばとある冬の
心まで凍てつくような寒い寒い夜中のこと
くすぶるだけのストーブ、空っぽのキッチン、それでも
あの時おまえの胸もとに流れていた甘く暖かい歌
長椅子で寄り添ったら失うばかりの暮らしもまんざらじゃないと本気でそう思えた

いつかおまえの胸もとに流れた歌のことを思い出す、たとえばとある春の
堤防沿いの道で季節外れのスコールに濡れていた午後のこと
その日も俺たちは放り出された犬のように飢えてばかりいて
いつから着ていたのか判らないくらい擦り切れた服を着ていた
そして明日には希望のひとつもありはしなかったけれど
肩が触れた瞬間に聞こえてきたメロディはみじめな気分を遠ざけてくれた

うだるような暑い夏に自分を失って
約束を閉じ込めたひと組のソーサーを叩き割った
俺との間にすべてを失ったおまえが幾日もせずに部屋を飛び出した時
おまえの胸もとに流れていた歌のことを俺は気にとめもしなかった

いくつかの夜と昼がうわ言のように通り過ぎ
落葉の褐色が無軌道な炎をなだめる秋の頃
肉体を押しつぶすような空白がその歌の不在だと知る
手遅れの確信にうろたえながら窓を開き通りの流れにおまえの姿を探す早い夜に
俺の中に住む弱さがおまえに責任を求めたことを知る
おまえの胸もとに流れた歌のことを初めて思い返した時
それはこの世に存在するどんな種類の哀しみよりも報われないものに思えた

暖めるすべを手に入れることが出来たとしても
悔恨のようにぽつぽつと降り積もる雪の冷たさは心から出て行きはしない
ハミングでメロディをたどろうとしたけれど
俺が聞きたかったものはそんなものじゃないと気づくまでにいくつもの夜明けを見つめなければならなかった
過去になってしまうのかい、過去になってしまうのか、あの安らかな時間は二度と寄り添うことはないのかい、気まぐれな太陽が雪の向こうから顔を覗かせる、降りやまぬ結晶たちがその光を受けて…美しさなど今は認めさせないでおくれ、俺はカーテンを閉じて偽りの暗闇の中に沈む

いつかおまえの胸もとに流れた歌のことを思い出す、それは決まって俺を眠れなくさせる
もう一度新しい春が来るとき





そのメロディの忘却を願うことが俺に出来るだろうか









自由詩 いつかおまえの胸もとに流れた歌のことを思い出す Copyright ホロウ・シカエルボク 2008-12-14 00:52:02
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