白光事象
荷花
真白な 事象 そのゆえに かれをあいしたのは だれ。
向日葵の咲き誇る夏であったが為に、彼の葬儀は凍り付いた二酸化炭素の煙が目に沁みた。
青ざめ強ばる腐食の膚をやんわり押せば戻らずに留まつた。其が指の形(なり)、わがしるしとみるもわたしの勝手であろうが、彼の方が望まぬのやも知れぬ。
暑い夏であったが故に、真白な、事象。白光けぶる地平、見通せぬ。彼の行方はどことも知れぬ、昨日までもが彼とともに失われたが如く、はや何一つわたしの胸には残って居らぬのやもとてのひらひらき、ほたり、落ちた朱赤の玉、血の雫染みるやうな鮮烈に溌と目を上げる。
既に世は無音の涯なき伽藍の最奥、我が魂の彷徨う道はどこにぞある、ここにぞある。
伸べて、手、取りたれば、明けのしじらを辿り往き、見上ぐる此方より彼方。目閉じ開きて在るは、はやさすら、この世のものならぬ根のかたすとかより戻り立ちた君である。
真白き払暁、事象、燃え尽きし熱い灰の上。抱き合い眼を閉じ無音の愉悦に満たされて、見通せぬ明日から今日を無言の内に睡らせるゆえ、どうか、どうか、どうか、どうか。
――真白な、事象、そのゆえに。かれをあいしたのは、わたしだ。
「 お か え り な さ い 」
つぶやく声はわたしと彼の、どちらの声か知らん。
いろと言ういろを失いましろくほほ笑む彼はわたしと手を繋ぎ、まったく鏡に映るもののよう、向かい合わせの仕草をひとつに結ぶ。二度とは会えぬと思って、覚悟していた。細く血の流れ続けるような生涯治らぬ傷を負うたと信じたから、今もこのまなこ捕らう彼がまことのものかも分からぬ。
まことであるものか。まことなどであるものか。
失われた者は既に戻らぬ、往きて帰らぬ道を逝ったのだ。だから人は遺されて生きて往く、戻るやもと思えば思わぬものよりも、手酷く傷つき二度とは歩けぬのだろうに。
伽藍など消えた、暗がりよ仄暗がりの夏よ最早二度と目覚めるな。ましろ、ひいろの彼と手を取り、なみだがでた。戻らぬと追ふても追いつけぬと知りおればこそ、なみだも出ずにドライアイス詰めた柩をただ見ていたのであるから、ここにまことでなくとも追うてつけたと信じることも叶おうほどに、彼の姿を眼にする今、泣かずにしていつ泣く。
泣いてまなこ腫らして睡りにつけば、起き抜けにはすべて忘れらるるやも知れぬものを。
ほろほろ夏の午后に溶けていくソォダの泡沫(あぶく)。なみだこぼして、それが仄明るい水面かどこかへうかびあがりゆくのを沈みゆき、見送りゆく。どこまでもどこまでもどこまでも、ゆうらり沈みゆくこと、失われしものへと殉じる終わりへの道行に似た。
――真白な、事象。そのゆえに、かれをあいした、は、
その日から、夏蝶(あげは)飛ぶ夏の午后、ましろい地平のましろい向日葵のあいだから、かれがゆうらりみつめるゆめを見始めた。
そこがわたしの息づく世界、そこはわたしの息つく世界。
そして見つめる彼の名を、精霊(しょうりょう)と言いけして死人(しびと)の戻りなどではないと聞かされたそのときわたしは、嗚呼やはり彼は戻り来なかった、戻り来ることは叶わなかつたのだとそう、安堵するほどに最後の絶望を知り得たが、これ以上はないと思った絶望のそのまだ先に、広がる道は覗き込めば覗き込むほど計り知れず、怖ろしく深く暗い。
夏蝶飛ぶ夏の午后、もう戻り来ぬ君の姿した精霊は、わたしを伺いながらちらちらと、ましろい向日葵の間を行つたり、来たり。
見つめるにも飽いた。常世か知らぬ伽藍を訪れるも飽いた。もうどこにもいきたくない。
ましろいちへい。ましろいじしょう。ましろい、かれ。
わたしのあいしたかれがしに、わたしもまたその焼場のけむりにどうかして、ましろくきえていったにちがいない。
――夏の午后。夏蝶飛ぶ、夏の午后。
すべてきえてしまえばいい。
気怠く蚊帳吊る蚊遣りのけぶり。
床付いたわたしにましろい彼、向日葵の影より、――ふくり、と、笑む。